法隆寺西円堂の薬師如来像

  「峰の薬師」

住所

斑鳩町法隆寺山内1ー1

 

 

訪問日 

2008年6月28日、 2015年3月15日

 

 

 

拝観までの道

法隆寺(南大門)まではJR法隆寺駅北口から徒歩(20分くらい)、または駅南口から門前までのバスが出ている。南口にはレンタサイクルのお店もある。

王子や奈良公園方面からバスの便もあり。

 

法隆寺ホームページ

 

南大門を入って正面が西院伽藍(さいいんがらん)であるが、西円堂(さいえんどう)はそのさらに西側(西北の丘の上)にある。

中門の前を左に折れ、拝観入口を通り越すと、三経院という美しい細長の建物があるが、さらにその先を右へ、やがて石段の上に八角形の建物が見えてくる。

「峰の薬師」とも呼ばれる霊場であり、病気平癒などを願い、鏡や刀剣などさまざまな品物が献納されてきたことでも知られるが、今では観光客のコースからははずれてひっそりとしている。

 

 

拝観料

なし

 

 

仏像のいわれなど

本尊の薬師如来像は、像高約2メートル半の坐像、すなわち丈六像で、法隆寺に残る数多い仏像の中でも最大の大きさの像である。

東大寺法華堂の不空羂索観音像や唐招提寺の盧舎那仏像と同様、脱乾漆という技法(漆と布を主として用い、中を空洞とする)で作られているが、全体に単調な印象であることから、奈良時代盛期を過ぎた後・末期のものと考えられている。なお、内部には補強のために木材が入れられているが、その組み方は唐招提寺像に比べて整然としているということである。

造像の事情などは不詳である。

 

 

拝観の環境

お堂は南側の扉が開いているが金網が張られ、扉口からの拝観となる。やや遠いが、外からの光で印象がよくとらえられる。東側の扉からも覗けるようになっていて、胸の堂々とした厚みが見て取れる。

台座は裳懸座で、当初の状態をよく残した優美な台座であるらしいが、前の飾り物のためにほとんど見えない。

 

 

仏像の印象

全体の印象としてはやや単調であることは否めず、顔や衣文の流れは確かにはつらつさを欠いている。

しかし、堂内いっぱいに堂々とすわる姿は大いなる存在感がある。

顔はやや前に傾けて参拝者と視点があうようにしている。目は大きく、顔つきや全体の様子がおおらかなこともあり、威厳とともに、明るく親しみやすい雰囲気でもある。手や胸も堂々としていて、この像が偉大な天平の丈六仏であると感じる。


光背は小さな仏像が多く貼付けられた豪華なものだが、鎌倉期のもの(一部当初部分が残る。また、近世、近代に補われている部分もある)。

 

 

橘三千代、光明子との関係

後世の史料には、西円堂を創建したのは聖武天皇の皇后となった光明子の母、橘三千代であると書かれているものがある。

しかし、747年につくられた法隆寺の資財帳(財産目録)には西円堂の記載がない。西円堂およびその本尊についての確かな記録としては、平安時代中期の1048年にお堂が破損し、そのために本尊像は講堂に仮安置されたとあるのが最初である(その後鎌倉時代に現在のお堂が建てられて、本尊も戻った)。従ってその創建年代および本尊像の造立年についてはわからない。

 

しかしこれほどのお堂・仏像について、造立の事情がまったく不明というのは何ともくやしい。橘三千代創建という伝に真実味はないのだろうか。

実は橘三千代ならびにその子光明子と法隆寺のつながりは深い。資財帳にはたびたび光明子によって「丈六分」の資財施入が行われていることが記され、その中には三千代の一周忌直後に納められたものもある。この「丈六」というのが何をさすかが問題なのだが、仮にこの西円堂本尊のことであるとすれば(法隆寺には像高が丈六である仏像は現存、記録上ともにほかに存在しないので)、この堂・像と三千代、光明子の関係の深さは単なる後世の伝と片付けることはできなくなる。さらに、光明子は藤原氏の出身であり、藤原氏といえば興福寺、興福寺といえば金堂の西側に重要な伽藍として八角円堂を配置した賑やかな建物配置であるが、それは法隆寺における西円堂の位置にも通じるではないか。

このことから、橘三千代創建の所伝を、光明子が三千代のために創建したと読み替え、本尊も同時期の作と考える説がある。

 

しかしながら、西円堂本尊は様式的には奈良後・末期の作であるので、時期が合わない。

仮に造像の年代を奈良前期までさかのぼらせることが可能としても、それではなぜ資財帳に記載がないのかという問題があり、この説は魅力的ではあるが、少数説にとどまっている。

 

 

堂内のその他の仏像

堂内には本尊像のほかに、千手観音像と薬師如来の眷属である十二神将像が安置されている。

 

千手観音像はほぼ等身大の立像で、一木造。引き締まった顔つきとすらりと伸びた下半身が目を引く。大きな脇手は、一般に3列でつくられるが、この仏像では2列でつくられ、大きな脇手の間から小さな無数の手が見える。個性的で魅力ある像である。平安時代後期の造像と思われる。垂下する天衣(てんね)、頭上面、光背、台座等は後補。下半身には賑やかな彩色が残るが、これも後のもの。

本尊に向って右側に東面して立ち、お堂の東側の扉から覗くことができるが、かなり暗く、目が慣れてくるとなんとか印象がわかる。一眼鏡のようなものがあると、美しいお顔をよく拝することができる。晴れた午前中が比較的見やすい。

 

中世の十二神将像は、東側や北側の格子窓から覗くと小ぶりの像が数躰が立っているのがかろうじてわかる。北側からは本尊の台座の様子も見ることができる。

 

 

その他

この西円堂薬師如来の胎内仏と伝える金銅仏の薬師如来坐像が大宝蔵院にある。像高15センチほどの小像で、親しみを覚える像である。

 

 

さらに知りたい時は…

「法隆寺西円堂薬師如来像について」(『奈良美術研究』15)、小林裕子、2014年3月

『法隆寺と奈良の寺院』(『日本美術全集』2)、長岡龍作・編、小学館、2012年

『奈良六大寺大観 補訂版3(法隆寺3)」、岩波書店、2000年

「橘夫人厨子と橘三千代の浄土信仰」(『MUSEUM』565)、東野治之、2000年4月

 

 

仏像探訪記/奈良県