法隆寺大宝蔵殿の聖観音像

  春、秋に公開

住所

斑鳩町法隆寺山内1ー1

 

 

訪問日

2008年6月28日

 

 

拝観までの道

法隆寺(南大門)まではJR法隆寺駅北口から徒歩(20分くらい)、または駅南口から門前までのバスが出ている。南口にはレンタサイクルのお店もある。

王子や奈良公園方面からバスの便もあり。

 

法隆寺ホームページ

 

法隆寺大宝蔵殿は、金堂や五重塔などが建つ西院と夢殿を中心とする東院とをつなぐ東大門の北側にある。

ここでは、春、秋それぞれ3ヶ月前後「法隆寺秘宝展」が催されていて、聖観音像はその時に拝観できる。

 

 

入館料

500円(ほかに法隆寺拝観料1,500円)

 

 

お堂や仏像のいわれなど

大宝蔵殿は、戦前に建てられ、近年大宝蔵院(名称がまぎらわしいが、別の建物)ができるまで、法隆寺の寺宝展示館として常時公開されてきた。現在は大宝蔵院で展示しきれない法隆寺のさまざまな寺宝を、春と秋のそれぞれ3ヶ月間前後、「法隆寺秘宝展」としてテーマを決めて展示している。

法隆寺は飛鳥時代の仏像の宝庫であるが、それ以外の時期の仏像も数多く所蔵している。その中には伝来不明のものも多い。法隆寺は古代から現在まで連綿と続いてきた寺であるのみならず、火災等の被害も少なかったので(僧兵を置かず、戦いに巻き込まれることが少なかったこともその一因であると聞いたことがある)、衰退して寺宝を維持できなくなった寺院から仏像がもたらされたのであろう。常設の展示館である大宝蔵院では紹介しきれないそうした各時代の仏像が、この「秘宝展」で入れ替わり展示される。

 

「秘宝展」の内容は開催ごと異なるが、中で1点、常設で展示されている仏像がある。奈良時代後期の聖観音像である。大宝蔵殿は「中倉」と「南倉」という2棟からなるが、中倉の一番奥に安置されている。

かつて金堂に客仏として安置されていた仏像だが、それ以前の伝来は分からない。

 

 

拝観の環境

ガラスケース中に安置されている。室内は明るく、よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は約180センチ、ほぼ等身だが、大きく見える像である。樹種はカヤ。台座の蓮肉部まで一材でつくられ、内ぐりは施さない。

バランスのとれた美しい像である。顔は整い、美しいまげは大きく結っているが高すぎることはない。ほぼ直立しているが、若干右足を遊ばせている。手は長すぎず、天衣(てんね)は自然で、下半身はやや長い。胸は堂々として、腰はくびれ、メリハリがある。

 

細部は、聖林寺の十一面観音像のような乾漆造の天平仏との共通点が見て取れる(材質の違いもあり、全体の印象としてはかなり異なっているが)。右の肩から天衣が下がっていくあたりの波うつような表現、下半身の衣文の襞(ひだ)の美しい楕円の連なり、両足の間の裳の合わせ目のライン、絞らずひかえめに開いた裳裾等である。さらに、多くの菩薩像では髪の一部が耳を横切るが、それがないことや、腕の装身具の形も古様である。また、髪には乾漆が一部併用されている。彩色は平安後期時代の補彩でほとんど覆われているが、裳の折り返し部分で奈良時代の銀泥の文様が確認されているという。

 

台座内に墨書が残るが、残念ながらほとんど判読不明という。

左手首など後補部分がある。垂下する天衣(てんね)は亡失。

光背は平安時代の仏像に多く見られる板光背だが、やや大きさがあっていない。通常額の白毫が頭光の中心にくるようにつくられるのだが、この光背はそれより高くなっている。他の像からの転用と考えられる。

 

 

その他

従来、奈良時代には銅造、乾漆造、塑造が盛行し、木彫はあまりつくられなかったと考えられてきた。しかし、最近ではその考えが見直されつつある。本像もかつては奈良時代の彫刻に学んだ平安中期の作例と考えられてきたが、現在は奈良時代の貴重な木彫の遺例と考えられている。

 

 

さらに知りたい時は…

『奈良六大寺大観 補訂版4(法隆寺四)」、岩波書店、2001年

「法隆寺の木彫像」(小学館『法隆寺の至宝3』)、松浦正昭、1996年

『東大寺と平城京』(『日本美術全集』4)、講談社、1990年

 

 

仏像探訪記/奈良県