持聖院の一針薬師笠石仏

解脱房貞慶、仏師快慶ゆかりの作か

住所

三郷町勢野東6-7-27

 

 

訪問日 

2017年6月17日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

三郷町・文化財

 

 

 

拝観までの道

持聖院(じしょういん)は王寺駅、新王寺駅の北、大和川を若草橋(人道橋)で渡って北東に少し行ったところにある。お寺の入口は北側。駅から徒歩10分強。

拝観は事前連絡必要。

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

真言宗の寺院。

惣持寺(そうじじ)というお寺の子院であったという。

惣持寺は聖徳太子創建と伝え、その後荒廃していたのを解脱上人貞慶が復興した(または教円という僧が復興し、貞慶の遺骨をまつったとも)。

また、貞慶は快慶に薬師如来像をつくらせ、惣持寺に安置したと伝える。

 

 

拝観の環境

門を入ってすぐ右のお庭の中に、仏を彫り出した大きな石が立っている。

近くよりよく拝観させていただけた。

また、この石仏の拓本や本尊の薬師如来坐像(平安時代後期)も拝観させていただくことができた。

 

 

仏像の印象

石仏は、お寺の西の裏山の斜面にあったが、傾いて倒壊の心配が生じたために、移されてきたものである。3メートル近くもある大きな石に、高さ約160センチの薬師如来像と脇侍菩薩像、十二神将像が彫られている。中尊は薄肉彫りで、他は線刻であるが、いずれも針で彫られたように繊細な線であることから一針薬師と呼ばれ、また雨よけの石がつけられていることから、笠石仏と称されている。

 

残念ながら摩滅が進み、中央の薬師如来立像はかろうじて見える程度、脇侍像やその横と上方に配されている十二神将像、また笠の下の面に彫られているという銘文は、残念ながら肉眼ではほとんどわからない。

 

写真や拓本、また書き起こした線描画によれば、中尊像は、両手で薬壷をささげるようにして持つ珍しい姿をしている。胸や股間には衣の線を細かく刻む一方で、腿の部分はひだを刻まない。膝のあたりで袈裟の端が弧を描くように刻まれているのは、大野寺の弥勒磨崖仏像などと共通するように思う。足下は踏み割り蓮華座となっている。肉髻は自然な盛り上がりをしている。

 

 

仏師・快慶がかかわったか

かつてこの石仏について、貞慶が快慶に下図を書かせてつくらせた惣持寺の薬師如来像ではないかという説が唱えられたことがあったが、大きくとりあげられることはなかった。

しかし、持聖院に移されるにあたって改めて調査がおこなわれたところ、笠の下の面に「解脱上人」「アン(梵字)大工巧人」の文字を新たに読み取ることができたという。これにより、俄然、この石仏が貞慶と快慶(アン阿弥陀仏)と関係がある可能性が高まった。実際に快慶が自ら石仏を彫ったものとまで踏み込んで考えることは難しいだろうが、何らかの関与があった可能性も考えうる。

 

 

さらに知りたい時は…

「ほっとけない″快慶な?″仏たち」(『目の眼』489)、青木淳、2017年6月

「時の回廊 雨よけに潜む仏師の影」(『日経新聞』2014年3月6日)

『奈良県史』7、奈良県史編集委員会、1984年

『大和の石仏観賞』、太田古朴、綜芸舎、1966年

 

 

仏像探訪記/奈良県