西大寺大黒堂と奥院の仏像

  室町時代の仏師仙算の作

大黒堂
大黒堂

住所

奈良市西大寺芝町1-1-5(西大寺)

奈良市西大寺野神町1-6-10(西大寺奥院)

 

 

訪問日 

2013年12月8日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

奈良市・指定文化財(大黒天像)

 

 

 

西大寺大黒堂について

西大寺は近鉄線の大和西大寺駅南口下車、徒歩3分。

駅から近い東側の門から入ると右手に四王堂、その先に塔址、また、本堂、愛染堂が建っている。これらのお堂は入堂し拝観できる(有料)。

 

愛染堂の向かって右側に室町時代の大黒天像を本尊とする大黒堂(大黒天堂)という小さなお堂がある。

お堂の入口に透明な板がはめ込まれているので、そこから拝観できる。像までの距離がそれほどなく、また外の明かりが入ってくるので、比較的拝観しやすい。

お堂は東面しているので、晴天の午前中がなおよい。

 

 

大黒天像について

大黒天像は像高約60センチ、ヒノキの寄木造。右足を前に外し、左足を踏み下げて円筒形の台座(マツ材)に座る。

 

左肩に袋をかけ、体躯は丸まるとして、誇張された姿はいかにも福の神らしい。

額、福耳、鼻を大きくつくり、目は比較的小さめに、口はしかっりと閉じる。口ひげとあごひげがつき、それによって表情がやわらいで見える。

冠や衣には派手な模様が見える。福の神らしい吉祥の文様であろう。

中国風の衣をまとう。肩に着けた衣、花形に開いた袖口、右足首から斜めに襞を刻みながら下がる衣の様子など、装飾的である。

 

像底および像内に銘文があり、それによると1504年、仙算の作であると知られる。仙算はこの年に51歳。この仏像を約1月間で作り上げたこと、また木寄番匠として奈良宿院の七郎太郎(仙算と同年の51歳)が制作に参加したことなどがわかる。

 

奥院の地蔵菩薩立像
奥院の地蔵菩薩立像

 

西大寺奥院について

西大寺の西北西に、その境外子院で法身躰性院(ほっしんたいせいいん)というお寺がある。奥院(奥之院、おくのいん)とも呼ばれる。

西大寺の本堂と愛染堂の間を北に進むと通用門があり、そこを出て左(西)に350メートルほど行くと、右手に西大寺野神緑地という公園がある。そこに奥院への道を示す案内板が出ているので、それに従って右折するとまもなく門前に出る。西大寺の北通用門から5分程度。

 

美しく整えられた奥院境内の中央にあるのは五輪塔で、これは鎌倉時代に西大寺を復興した叡尊(えいそん、えいぞん)の墓である。

叡尊は1290年に90歳の高齢で亡くなった。記録によれば、遺体は西大寺の境内を巡ったのち、あらかじめ定められていた西北林間の地に到着して荼毘にふされ、その後、そこに五輪塔がたてられた。

西大寺奥院はまさにその場所なのである。

 

五輪塔は、高さ約3メートル半。堂々としてかつ美しい。

地蔵堂(本堂)はその左手奥にある。

堂内の拝観は、ご不在のこともあるので、事前にお願いしておくとよい。

 

 

奥院の地蔵菩薩像

本尊の地蔵菩薩像は、像高約90センチの立像。

宝珠と錫杖を持つ通例の地蔵菩薩像である。若干特徴的なことは、前でしっかりと合わさる下着が胸に見えているところであろう。

顔の輪郭は卵形で、ややなで肩。頭と体のバランスがよく、落ち着いた立ち姿である。

ややくせのある顔立ちである。眉をはっきりと刻み出し、目を見開いてこちらを見ている様子からそう感じるのであろうか。

衣は比較的にぎやかに刻む。

台座、光背とも当初のもの。

 

納入文書などにより、1514年に仙算および宿院番匠源四郎によってつくられた像であることがわかる。しかし、頭部のみは別作。どうした理由なのか、頭部は造像から30年ほど後の1547年に宿院仏師の源次(源四郎の次の棟梁)によって補作されたものである。

 

 

仙算と宿院仏師について

仙算は海龍王寺地蔵院に住んだ仏師である。明琳房とも称し、「彫刻細工比丘」あるいは「彫刻師沙門」とも名乗った。特定の仏所に所属せず、西大寺をはじめとする奈良の寺院の仏像や仏具を修理したり、新造したりしていた人物と思われる。

 

その主たる事績としては、1498年に白毫寺の太山王、司録像を修理、1502年から翌年にかけて西大寺の釈迦如来像の光背を修理、1504年には上に述べた西大寺の大黒天像を造立、1507年に龍福寺(廃寺)の本尊の十一面観音像(現在は東大寺が所蔵)を制作、そして1514年に西大寺奥院の地蔵菩薩像をつくっている。

このうち西大寺本堂本尊の釈迦如来像の光背修理は、1502年に西大寺が火災にみまわれたために損傷したことによるものと思われる。今光背につけられている化仏は、この時に仙算が補作したものである。

 

ところで、大黒天像と地蔵菩薩像の造立にあたり仙算を補佐した七郎太郎および源四郎だが、木寄番匠(番匠とは木工全般の工事に携わる職人のこと)として用材の調達、木取り、粗彫り、また光背や台座の制作などにあたったと思われる。彼らは仙算の仏像制作の助手をつとめることで、仏像制作のノウハウを会得し、次第に仏師として自立していったのであろう。

源四郎の系譜を引く仏師は奈良の宿院町(現在の近鉄奈良駅の北側)を本拠地としたことから宿院仏師と呼ばれ、源四郎、源次(空阿)、源三郎の3代、16世紀の数十年間にわたって活発に造仏を行った。その作品は主として奈良県内に所在するが、一部は宮崎県など遠方の地方にも伝わっている。

 

 

さらに知りたい時は…

『奈良 西大寺展』(展覧会図録)、三井記念美術館ほか、2017年

『宿院仏師』(『日本の美術』487)、鈴木喜博、至文堂、2006年12月

『宿院仏師』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2005年

『奈良六大寺大観(補訂版)』14、岩波書店、2001年

 

 

仏像探訪記/奈良市