西大寺四王堂と聚宝館の諸像

  古刹・西大寺に伝来する奈良、平安仏

増長天像の邪鬼
増長天像の邪鬼

住所

奈良市西大寺芝町1-1-5

 

 

訪問日 

2013年1月27日、 2013年12月8日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

奈良ネット・西大寺(彫刻)

 

 

 

拝観までの道

西大寺は近鉄線の大和西大寺駅南口下車、徒歩3分。

駅から近い東側の門から入ると右手に四王堂、その先やはり右手に宝物館である聚宝館(しゅうほうかん)があり、さらに先に進むと本堂、愛染堂が建っている。

西大寺の拝観の中心はこの4ヶ所だが、聚宝館は通年の開館でなく、毎年1月5日から2月4日までと、10月25日から11月15日まで開かれている(このほか、4、5月に開館する場合がある)。

 

 

拝観料

四王堂、聚宝館は各300円。

聚宝館の開館期間には、4堂共通拝観券が1,000円で発行される。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

西大寺は奈良時代後期創建。

時の称徳天皇は、聖武天皇と光明子の間の娘で、父母と同じく仏教を厚く信仰し、東大寺に対して、西の大寺の造営を企図した。そのきっかけは、藤原仲麻呂の乱(764年)に際し、四天王像を造立してその平定を祈願したことにあるという。

 

創建期の西大寺については、奈良時代末期の780年に作成された『西大寺資財流記帳』(西大寺の財産目録)から、その様子をうかがい知ることができる。2つの金堂(薬師金堂と弥勒金堂)、東西両塔、四王堂、十一面堂などが建ちならび、寺域は東大寺を除けば、薬師寺、大安寺など奈良の都のどのお寺よりも広大であった。

2つの金堂にはそれぞれ数十躰の仏像が立ち並び、仏像の荘厳のために鏡が取り付けられ、またその屋根には異国的なモチーフが取り付けられて装飾されていたといい、創建当初の西大寺は極めてエキゾチックな空間であった。

当時の政治と宗教は僧・道鏡が握っており、これらの特異な堂や像の造立も彼が主導したものと考えられる。もし、これらのお堂が一宇でも今日まで伝わっていたら、古代寺院のイメージそのものも違ったものになったのではないか。

しかし称徳天皇が亡くなると道鏡は失脚、やがて都も平安京へ。その後も西大寺は南都の主要寺院に数えられていくものの、衰退の一途をたどる。

 

鎌倉時代、叡尊(えいそん、えいぞん)が入寺することによって、西大寺は律宗寺院として復興をとげた。

しかしその後は地震や兵火で再び諸堂は失われ、四王堂、本堂、愛染堂はいずれも江戸時代の再建(わずかに南門が中世までさかのぼる建築という)。境内地も小さくなって、奈良朝の大寺院の面影はない。それでもいくつもの子院を持ち、真言律宗の大本山として奈良の寺院の中でも存在感を保っている。

 

 

四王堂の四天王邪鬼

四王堂は仮堂のように簡素ではあるが、奈良時代と変わらない位置にあって、創建時の由緒を伝える。

 

お堂中央に本尊十一面観音像、その左右に四天王像が2躰ずつ安置されている。

この四天王像こそが、西大寺造立の契機となった称徳天皇発願の像である。しかし残念なことに、度重なる火災によって四天王本体はすべて後世のものに変わっている。

像高は各2メートル以上。持国、増長、広目の三像は金銅造だが多聞天像は木彫。これらの像が再興された時期だが、多聞天像は近世。他の3躰はそれよりは前と思われるが、その時期はよくわかっていない。

 

しかし、それぞれの天が足下にふまえる邪鬼は奈良時代後期の創建当初のものである(増長天像の邪鬼のみが奈良時代以来のものであるともいわれる)。いずれも、火によって裂け、また銅が溶けもしている。それでも奈良時代彫刻らしい豊かな造形感覚がみられる。

どの邪鬼も踏まれる苦しみをあらわし、目、鼻、口は大きく誇張して、諧謔味を出す。髪を逆立て、ひげもはやしているようだ。もがく手足の表現も面白い。また、いずれの邪鬼も片手で何かをつかむようなしぐさをしているが、これは本来上に乗る四天王が持つ杖をつかんでいたのかもしれない。

邪鬼は、前に置かれた供物台ごしによく見ることができる。

 

 

四王堂の十一面観音像

四王堂本尊の十一面観音像は、像高6メートル近い巨大な立像。ヒノキの寄木造。

本像はもと、京都の二条白河にあった十一面堂の本尊で、1145年、鳥羽上皇によってつくられた。作者は法橋円信(本像造立に関する勧賞により、法眼に進む)。この時代、長円・賢円を中心とする円派仏師が主要な造仏を独占しており、円信はこの円派全盛期の一翼を担った重要な仏師であった。長円の子ないし弟子であったと考えられている。

本像がもと安置されていた十一面堂は、鎌倉初期に火災のためもあって倒壊し、像も破損してしまった。再建も進まず、鎌倉後期になって、院の命令により西大寺四王院に移されることになった。叡尊の最晩年のことである。

 

観音像は、お堂の中央の大きな厨子におさめられ、その上部には帳が垂らされている。

すぐ近くまで寄って拝観できるが、寄ると見上げるようになり、離れると帳のために顔が見えづらく、なかなか像の雰囲気はつかみづらいが、とにかく大きく、威厳ある仏像と思う。

特に頭部が大きくつくられて、堂々とした印象である。伏し目がちな目、やや抑揚に欠ける頬の表現など、誇張を避け、安定感がある。やや保守的でやや面白味に欠けるという言い方もできるかもしれない。

表面の漆箔は近世の後補であるほか、手足や化仏、垂下する天衣、持物など後補部分も多いが、院政期造像の巨像の遺例として大変重要である。

 

塔本四仏のうち宝生如来像
塔本四仏のうち宝生如来像

聚宝館安置の阿弥陀如来像、宝生如来像

聚宝館は、1961年に西大寺のさまざまな宝物の保存と展示のためにつくられた施設である。

正面奥の壁面に10躰ほどの仏像が一列に並んでいて、よく拝観できる。

 

中央には吉祥天像が置かれ、その向って左に阿弥陀如来像、右に宝生如来像が安置されている。

この阿弥陀如来、宝生如来の2像に、釈迦如来像(東京国立博物館寄託)と阿しゅく如来像(奈良国立博物館寄託)をあわせて、「塔本四仏」と呼んでいる。西大寺の仏像中、四天王像の邪鬼についで古い時代の仏像である。75センチ前後の坐像で、像高も揃い、やや小太りであるなど雰囲気も互いに似て、もともと一具としてつくられたものと思われる。

一木造で内ぐりをする。表面は乾漆を用いて整えているが、木心乾漆像というほどではなく、一木造、漆箔の像とされる。

780年の資財帳に記載が見当たらないので、その後の作なのであろう。しかし、一木造で乾漆併用というつくりや、ずんぐりした体型から、奈良時代末から平安時代前期の彫刻と考えられる。

像名の「宝生」などは密教的な名前であり、おそらく鎌倉時代、叡尊によって修理されたときに付された名称と思われる。もとは釈迦、薬師、弥勒、阿弥陀といった顕教の四仏であったのだろう。

 

4像一具の如来像を安置するのにふさわしいと場所といえば、それは塔の初重であろう。

西大寺には創建時、東西両塔が建てられていた。

はじめ八角七重塔が計画されたが、変更されて一般的な五重塔が建てられたという。今、本堂前に見えている立派な基壇が東塔で、西塔は愛染堂の裏あたりにあった。

記録によれば、10世紀前半に雷火によって塔一基が炎上したという。もう一基(おそらく東塔)はその後も立ち続け、12世紀はじめごろの西大寺は塔一基と食堂だけになっていたと伝えるので、衰退の極みにあった時期も塔は残っていたことが知られる。

鎌倉時代、西大寺を再興した叡尊によってこれら四仏も修理されて、あらためて塔の東西南北に安置された。16世紀、塔をはじめとする西大寺炎上の際に幸いにも救い出され、今日まで伝わったものである。

 

本像は、上半身がゆったりとつくられているが、どちらかというと張りを失った肉づきのように感じられ、衣の襞もやや冗漫で、顔も溌剌さに欠ける。額が小さい割に顔の下半分がやや長めで、それに加えて後補の漆箔がまだらであり、目も稚拙な後補の着色がなされ、違和感がある。

しかしよく見ていくと、吊り上がる目は怜悧な表情を生み、姿勢よく、脚部も自然で、魅力がある。特に、胸前で手を構える説法印の宝生如来像は、手の構え、肘の左右への張りもなかなか堂々としている。

 

 

吉祥天像について

聚宝館の壁面中央、中尊像のようにして安置される吉祥天立像は、像高180センチを越える大きな像である。

木心乾漆像で、平安初期ごろの作と考えられ、「塔本四仏」と同じくらいの時期につくられた像と思われる。ただし、後補部分がかなり多い。顔はまだらになっていて痛々しく感じるが、この面部は後世の手が入っている。しかし、体部は堂々として力強い。

なお、1140年に書かれた『七大寺巡礼私記』には、この像かと思われる吉祥天像が当時の四王堂に安置されていたと書かれている。

 

 

さらに知りたい時は…

『西大寺 美術史研究のあゆみ』、大橋一章ほか、里文出版、2018年

「西大寺四王堂四天王像と王権守護」(『仏教芸術』346)、山田美季、2016年5月

『東大寺・正倉院と興福寺』(『日本美術全集』3)、小学館、2013年

『奈良六大寺大観(補訂版)』14、岩波書店、2001年

『西大寺展』(展覧会図録)、奈良国立博物館、日本経済新聞社、1990年

『西大寺』(『日本の古寺美術』10)、金子啓明、保育社、1987年

「西大寺四王堂十一面観音像について」(『美術史』120)、武笠朗、1986年

『西大寺と奈良の古寺』(『日本古寺美術全集』6)、集英社、1983年

『西大寺』(『古寺巡礼奈良』8)、淡交社、1979年

『西大寺』、長谷川誠、中央公論美術出版、1965年

 

 

仏像探訪記/奈良市