興福寺国宝館の阿修羅像

  西金堂「釈迦集会」群像

住所

奈良市登大路町48

 

 

訪問日 

2010年4月16日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

興福寺ホームページ

 

 

 

拝観までの道

近鉄奈良駅から徒歩約10分、JR奈良駅から徒歩約20分。

国宝館は年中無休。

 

 

拝観料

600円(東金堂との共通券800円)

 

 

お寺や仏像のいわれなど

興福寺は藤原氏の氏寺であり、日本を代表する仏教寺院である。

その前身は藤原氏の始祖鎌足造立の釈迦三尊像を安置した山階寺といい、移転して厩坂寺、さらに平城遷都にともなって現在の場所に移り興福寺と称した。

3つの金堂をもつ大寺院であったが、長い歴史の中で繰り返し火災による打撃も受け、現在の東金堂は室町期の再建。中金堂は江戸時代に仮金堂を建ててかろうじて存続。西金堂(さいこんどう)は江戸時代に焼失してついに再建されることはなかった。

 

その西金堂だが、藤原不比等の娘・光明子(聖武天皇の皇后)がその母・橘三千代の供養のために建てたお堂であった。完成は三千代の一周忌の734年。釈迦三尊像を本尊とし、その周囲には十大弟子、八部衆、四天王など多くの像が立ち並び、それらは古記録によれば「釈迦集会(しゅうえ)の像」と呼ばれていた。

 

お堂は失われた西金堂だが、当初像の一部が再三の火災にもかかわらず奇跡的に伝えられている。十大弟子のうちの6躰、八部衆像8躰(うち1躰は頭部のみ)が当初の「釈迦集会」群像のメンバーで、今は興福寺の宝物館である国宝館で公開されている。

なお、本尊の釈迦三尊像については、鎌倉時代に再興された像が伝来する。中尊は頭部だけとなってしまっているが、近年運慶作であることが確認された。やはり国宝館で見ることができる。脇侍像2躰については、非公開の仮金堂に安置されているため、通常は拝観できない。

 

 

拝観の環境

興福寺国宝館の開館は1959年。2009年に50周年を迎え、これを記念してリニューアルされた(2010年3月、再オープン)。阿修羅をはじめとする八部衆像、十大弟子像、旧山田寺仏頭など、それまではガラスケース内に展示されていた諸像がケースなしで展示されるようになり、たいへんよく拝観できるようになった。

2012年4月からは照明がLEDに変わり、より見やすくなった。

 

 

仏像の印象

八部衆像はいずれも像高150センチ前後(ただし1躰、五部浄像だけは頭部から胸にかけてのみ残る。この像はガラスケース内に展示)。

奈良時代に盛行した乾漆造という漆を使った技法によってつくられている。乾漆の像は軽いために、火災でも持ち出しやすく、それが今日まで伝来した理由のひとつであろう。

お堂の奥に立つ巨大な千手観音像の前の空間に、どの像もほぼ直立した安定感のある姿で行儀よく一列に並んでいる。

 

八部衆像の中でもっともよく知られているのが阿修羅像である。像高は150センチあまりなので、等身大より少し小さいくらいの大きさ。どの本でも目玉となる仏像として扱われ、大写しの写真を見る機会が多いためか、実物は意外に小さく見える。

阿修羅像は3面6臂の姿だが、八部衆の他の像は1面2臂。釈迦の眷属としてこれを守護する神々であるが、猛々しさよりも繊細微妙な表情を浮かべて、非常に魅力的である。

 

 

群像としての西金堂諸仏

阿修羅など八部衆像や十大弟子像はもともと群像として制作され、安置されていた仏像である。かつてはその一部が東京国立博物館や奈良国立博物館に出陳されていて、筆者も東京の博物館の展示室で感銘を受けたことを覚えているが、のちに大学の先生から「本来群像であったことを忘れてはいけない」と教えてもらったことを思い出す。

 

仏像は1躰のみでまつられることもあるが、三尊像などのセットで、あるいは阿弥陀如来とその来迎に付き従う二十五菩薩像、閻魔大王を中心とする冥府役人たちのように群像としてパノラマの如くに配置されていることもある。また、さまざまな事情から本尊とは由来の異なる仏像が加えられて、結果的に群像のように見える場合もある。

しかし、そうした仏像群と興福寺西金堂の群像は決定的に異なっている。西金堂「釈迦集会」群像は、ひとつの経典に基づく特定の場面なのである。

 

ところで、西金堂を造立した光明皇后だが、その本名は安宿媛(あすかべひめ)という。光明子という名前は、自ら改名したものらしい。

『金光明最勝王経』の中に、「福宝光明」という女性がこの経典を熱心に信仰して、未来に釈迦牟尼仏となると予言されたという話が出てくる。光明子の名前の由来はこの「福宝光明」であるらしく、このことから彼女がこのお経に深く帰依していたと考えられている。西金堂の群像も、『金光明最勝王経』(もしくは旧訳である「金光明経』)に基づいて構成されている。

 

 

「懺悔」と仏像

『金光明最勝王経』の「序品」すなわち冒頭の章には、鷲峰山(じゅぶせん、霊鷲山とも)山頂の釈迦のもとに諸菩薩、十大弟子、八部衆、また神々や王、仏教を信じる善男善女が集まり、釈迦の教えを聴くという経典の舞台が描かれる。西金堂の群像はその様子を造形化したものと考えられる。

また、お経の第4章にあたる部分では、妙幢(みょうどう)菩薩が夢に見たことを語る。夢の中で大きな金鼓(こんく)があらわれ、光を放つ。その中に多くの仏が説法をする様子が見える。一人の婆羅門(ばらもん)が金鼓を打つと、妙なる調べがして、懺悔を説く教えのようであった…

 

実はかつて西金堂内には、銅製の打楽器とそれを打ち鳴らす姿の老人の像も置かれていたことがわかっている。この打楽器は国宝館に展示されている華原磬(かげんけい)と考えられている(奈良時代または唐時代の作。鎌倉時代に改修を受けている)。老人の像は当初のものは失われたが、桃山時代の再興像が伝わっている(展示はされていない)。華原磬が金鼓、老人の像が婆羅門である。

このことから、「釈迦集会」群像は釈迦による説法であり、同時に妙幢菩薩の夢の場面でもあるということになる。実際の法会の場でも、磬を打ち鳴らして、そこが経典の世界であることをいっそう演出するとともに、参加者は懺悔の法を聴いて悟りへの道に入ることを祈願したのかもしれない。

 

八部衆はもとインドの神々で、仏教に取り入れられてその守護神となったものたちである。特に阿修羅は本来悪神であり、帝釈天とも戦ったという。

興福寺の阿修羅像には、もはや闘争の表情はない。むしろ、憂いをこめ遠くを見るようなまなざしをしている。その姿は、『金光明最王経』にある懺悔の法に導かれて、深く仏に帰依している様子の現れではないかと思われる。

 

 

作者について

十大弟子、八部衆像など西金堂諸像造立時の記録が正倉院文書に残されている。それによると制作にあたったのは「仏師将軍万福」という人物である。

仏師にもかかわらず将軍という名乗りは不思議に思えるが、これよりはるか前の時代、『日本書紀』の欽明天皇十五年の条に「百済人将軍三貴』という人が見えることから、「将軍」は姓であり、万福は百済系渡来人であったとわかる。

 

 

阿修羅の合掌

阿修羅は6本の腕を持っている。筋や血管の盛り上がりや、骨ばってごつごつしていたりなど人間の腕に見えるさまざまな要素はそこにはない。ひたすら細く長く伸びてゆく。

肩の付け根で見て、前についているものから順に第一手、二手、三手と呼ぶ。

第二手は大きく広げて掌を上に向けている。 持物は失われているが、 興福寺の仏像群を描いた仏画である「興福寺曼荼羅」(京都国立博物館蔵)によると、本来太陽と月をかかげていたことがわかる。

第三手は、第一手と二手の間の絶妙な位置にある。同じく持物は失われている。

 

問題は胸前で合掌する第一手である。

阿修羅像を正面からよく見ると、合掌した手が正中線に来ていないことがわかる。向ってやや右にずれているのである。また、合掌する第一手の肩の付け根は、左右でわずかだが角度が異なっている。

実は阿修羅の手は、近代以前に一部分破損していた。上手に修復されているために、よほど注意深く観察しないと気がつかないのであるが。古写真(興福寺のホームページ中でも公開されている)を見ると、右の第一手は手先から失われている。その修復にあたり、合掌していたという前提で右手を補い、かつうまく手を合わせるために腕の付け根の角度を変えた可能性がある。

なお、上述の「興福寺曼荼羅」では、阿修羅像の第一手は合掌せず、胸の前で弓をもっているようである。また他の作例では、合掌する阿修羅は多いものの、それ以外のポーズをとるものも存在する。 この阿修羅像も本来は合掌していなかったのかもしれない…

 

*その後、CT画像の解析より当初から合掌していた可能性が高いとの報道があった。(『朝日新聞』2017年2月22日)

 

 

その他(リニューアルされた国宝館について)

リニューアルによって、ガラス内での展示も照明などの進化によってたいへん見やすくなった。なかでも板彫十二神将像(平安時代)は本当によく鑑賞でき、堪能出来る。

 

ところで、国宝館にはコインロッカーの設備がない。そのためにコートや荷物を持ち込む客が多いのは気になるところである。筆者が訪れた日は雨が降っていて、しぶきをつけたコートのまま入場する人が多かった。阿修羅像などをケースなしで展示するにあたっては、このような場合の湿度管理も十分行えると踏んでの上のこととは思うが、本当に像への影響はないのか不安に思わないでもない。

 

なお、以前展示されていた平安時代の薬師如来坐像(1013年の奥書のある経典が納入されていた像)が引っ込んでしまい、お会いできなかったのは残念なことであった。

 

 

さらに知りたい時は…

「仏像の修理 どこまで」(『朝日新聞』2017年3月21日)

『日本美術全集』3、小学館、2013年

『仏像のかたちと心』、金子啓明、岩波書店、2012年

『興福寺 美術史研究のあゆみ』、大橋一章・片岡直樹編、里文出版、2011年

『もっと知りたい 興福寺の仏たち』、金子啓明、東京美術、2009年

「興福寺西金堂釈迦集会像について」(『南都仏教』93)、小林 裕子、2009年

『週刊朝日百科 国宝の美』01、朝日新聞出版、2009年8月

「阿修羅の表情」(岩波書店『図書』2009年2月号)、東野治之

『阿修羅を究める』、興福寺監修、小学館、2001年

『奈良六大寺大觀 7 興福寺』(補訂版)、岩波書店、1999年

「阿修羅の手」(『月刊奈良』38巻11号)、山岸公基、1998年10月

『八部衆・二十八部衆』(『日本の美術』379)、伊東史朗、至文堂、1997年12月

 

 

仏像探訪記/奈良市