福智院の地蔵菩薩像

  奈良の霊験地蔵

住所

奈良市福智院町46

 

 

訪問日 

2011年1月9日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

福智院の仏像

 

 

 

拝観までの道

福智院は近鉄奈良駅から東南に徒歩約20分。バスでは、天理行き奈良交通バスで「福智院町」下車。

史跡・頭塔(ずとう)からは西へ徒歩5分。

 

 

拝観料

400円

 

 

お寺や仏像のいわれ

寺伝によると、福智院の前身は清水寺といい、奈良時代に玄昉(げんぼう)によって創始されたとする。このため福智院では毎年6月18日を玄昉忌として、本堂およびかつて玄昉の首塚と信じられていた頭塔で法要を行っているそうだ。しかし、この前身寺院については、ほとんどわかっていない。

福智院が歴史的に確かな存在として登場するのは鎌倉時代からである。本堂および本尊・地蔵菩薩像は鎌倉時代のもので、この地蔵尊は13世紀の説話集『沙石集』で奈良の霊験地蔵の筆頭に上げられている。

ただし、はじめは別の場所(福智庄、今の奈良市北東部か)にあり、その後現在の地に移って来たともいう。

 

 

拝観の環境

近づいてよく拝観できる。 お堂は西面しており、晴れた日の午後は明かりが入ってよい。

 

 

仏像の印象など

本尊の地蔵菩薩像はやや大きめの丈六坐像で、像高は2メートル70センチを越える。

寄木造。材は前面はカツラで、背面にはヒノキを用いているそうだ。

 

とにかく大きい仏像である。ことに上半身や手足の大きさは圧倒的である。

顔の表情や全体の雰囲気は、茫洋としてつかみどころがないようにも感じる。 同じ時期の仏像でも、東大寺・興福寺の鎌倉再建期諸像の洗練された印象とは少し違った感じを受ける。

しかしじっくり拝観していると、意外に表情豊かで像である。見上げる角度や外からの光の加減やよっても雰囲気が変わる。

手には錫杖と宝珠を持ち、足は右足を外して安坐する。

 

四角い台座と光背の中心部も本体と同作。

光背は異色で、近づいて見ると無数の小地蔵菩薩が貼付けられてできている(ただし後補ではあるのだが)。加えて少し大きめの化仏も取り付けられている。化仏は頂上が如来、その下に6躰の地蔵、その下に地獄十王のうちの二王がいる。

本体、化仏、光背の小像すべてを足すと、地蔵菩薩の数は567躰になるそうだ。これは弥勒仏出現までの56億7千万年という数字にちなむとお寺の方がおっしゃっていた。釈迦の涅槃ののち、気が遠くなるような年月がたって、弥勒が出世し、釈迦の救いに漏れた人々を救済すると予言されているわけだが、その間の「無仏時代」を担当するのがこの地蔵菩薩であるということを示しているのが、この567という数字なのであるということであった。

 

 

像内の銘文について

本像には像内銘がある。読めない文字もあるので推定も交えてだが、鎌倉初期の1203年、勧進僧定心が中心になって造立したと書かれる。ところがこれとは異質の字体で、1254年に供養したともある。

この2つをどう解釈するかだが、1203年に勧進によって造立がはじまったもののなかなか進まず、50年以上かけて完成をみたという考えることできる。一方、1203年に造立され、その後寺が現在地に移動したために仏像も移されたが、それを機に修理がなされて、その供養を1254年に行ったという考え方もできる。

なお、化仏には13世紀なかばごろの作風を示すものがあり、銘文にある1254年の作と考えられる(ただし、後世転用されてつけられたと思われるものも混じる)。

 

 

さらに知りたい時は…

「地蔵菩薩坐像」(『国華』1384)、水野敬三郎、2011年2月

『東日本に分布する宗教彫像の基礎的調査研究』(『東国乃仏像』二)、有賀祥隆ほか、2010年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』7、中央公論美術出版、2009年

 

 

仏像探訪記/奈良市