新薬師寺のおたま地蔵と景清地蔵

  1躰の地蔵菩薩が修理ののち2躰に

景清地蔵
景清地蔵

住所

奈良市高畑1352

 

 

訪問日 

2014年3月23日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

新薬師寺 仏像・工芸品(おたま地蔵)

 

 

 

拝観までの道

JR奈良駅、近鉄奈良駅から奈良交通バスの市内循環線などで「破石町(わりいしちょう、新薬師寺道口)」で下車。東へ徒歩約10分。

 

 

拝観料

600円+特別拝観料300円

 

 

仏像のいわれなど

新薬師寺には、景清地蔵、おたま地蔵と名付けられた極めてユニークな地蔵菩薩像が伝わっている。

以前(2011年)に問い合わせをした時には、拝観を見合わせているということだったが、今回本堂で係の方に直接お聞きしたら、住職さんの体があいていれば拝観できる、ただし別料金というお答えだった。ぜひお願いしますとお話ししたところ、拝観させていただくことができた。

 

この2躰の地蔵菩薩像は、後述のようにもとは1躰の像であった。当初の安置場所がどこかは知られないが、近世には興福寺別院の勝願院に安置されていた。また、中世末の史料に福智院など4つのお寺やお堂の霊験地蔵のひとつとして「勝願院地蔵」の名前が見え、本像のことであろうと考えられている。

その後勝願院は衰退したようだが、地蔵堂が残り、本像もそこに安置されていたが、近代に入って新薬師寺に移され、本堂の北側壇上に置かれていたという。

 

 

拝観の環境

現在は、境内西側の香薬師堂に安置される。堂内、向かって左側に景清地蔵、正面右側の厨子中におたま地蔵が置かれている。

近くよりよく拝観させていただけた。

 

 

仏像の印象および2躰の像になるまで

像高は約190センチの鎌倉時代前期の地蔵菩薩立像である。ヒノキの寄木造、玉眼。

景清地蔵は堂々として威厳があり、その前に立つと身が引き締まるようである。玉眼も像に生気をもたらしている。ただし若干大味な印象も受ける。

ややなで肩で、衣の襞(ひだ)はゆったりとリズミカルに刻まれる。下半身が大きく、安定感がある。

 

一方おたま地蔵の方は裸形で、優しい雰囲気である。体がぷっくりとして、柔らかな感じがするためであろうか。上半身が大きく、また手が長く感じ、両者は必ずしも同じような雰囲気の像ではない。

しかし、実はこの2躰は本来ひとつの像であった。

 

景清地蔵の名の由来は、平家物語の登場人物、悪七兵衛景清ゆかりの像との伝承による。そのため、本来錫杖を持つ右手には弓を持っている。

この像を1983年から84年にかけ、修理することになった。すると像内にもう1躰の像、しかも裸形の像が入っているのが見つかった。入っているというよりも、中の像は裸形をしていて、これに木でつくった衣を着せている(貼装)ということがわかった。

単に木の衣を貼り付けているだけではない。元の像に衣をつければ、当然体は大きくなる。それに合わせて細い材を挟み込むなどして、頭部も少し大きくしている。そこまでするならば新しい像をつくってしまった方が早いのではないかと思える手のこんだ改変をして景清地蔵はつくられていたのだった。

 

修理にあたり、中の像を出すこととしたが、頭部と胸の一部は中の像と外の像がいわば共有している状態であったので、補作部分を加えて、2躰の像とすることができた。中の像の手や足先などは、像内に落としこまれていたので、それをつけ、足りない部分を補っている。逆に外側の像は、中を取ってしまうと木でつくった衣だけのハリボテになってしまうために、しっかりとした像として自立できるように内側を補強したとのこと。

おたま地蔵の肌にはひっかいたような傷が残っている部分があるが、これは木の衣を着せる際、調節が必要になって削ったあとである。肩やおしりなども削っているとのこと。

奈良には伝香寺・西光院・れんじょう寺に裸形着装像が伝わっており、また全国では50例ほどがある。しかし本像のような例は他には知られない。

 

 

納入品からわかること

本像には願文が納入され、つくられた経緯がそれによって推測できるというのも大変貴重である。

それによると、像をつくらせたのは尊遍という僧である。彼は師の実尊(摂関家出身で、興福寺の別当を務めた)を深く敬い、その死後、師の面影を写してこの像をつくったのだという。裸形としたのは、おそらく師に対するがごとく、衣を着せたり替えたりを行うためであろう。

可憐な雰囲気のおたま地蔵は、師を思う弟子の気持ちがこめらた造形なのである。

 

あとになって木の衣を着けることにした時期は、像がつくられてからそれほどあとではない頃ということしかわからない。あるいは、尊遍の生存中であるかもしれない。

その場合、尊遍が自分がの死んだあと、すなわち仕えるものがなくなった先の像のありようを考え、このような改変を自ら実行したのではないかという推測もありうる。

 

 

その他1

景清地蔵とおたま地蔵では、右手が異なっている。

おたま地蔵は右手を下げ、何も持たない。ところが景清地蔵の方は右手を突き出して弓を持っている(おそらく本来は錫杖をもっていたものと思われる)。

改変の際にどうして手の形を変えたのかはわからない。

 

境内の石仏
境内の石仏

 

その他2

新薬師寺には古代、中世の石仏もあるので、お見逃しなく。

南門を入ってすぐ左に覆い屋が設けられ、数躰の石仏が集められている。

やや小さめな地蔵尊は光背に地獄十王像をつける。いわゆる矢田寺式の地蔵像である。その向って右側には素朴な感じの如来像が立つが、これは奈良時代までさかのぼる珍しい石仏である。

 

*本堂の仏像については、新薬師寺と不空院の項をご覧ください。

 

 

さらに知りたい時は…

『壊れた仏像の声を聴く』、藪内佐斗司、角川選書、2017年

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』5、中央公論美術出版、2007年

『仏像と人の歴史発見』、清水眞澄、里文出版、1999年

「新薬師寺地蔵菩薩像(景清地蔵)について」(『日本彫刻史研究』、水野敬三郎、中央公論美術出版、1996年)

 

 

→ 仏像探訪記/奈良市