唐招提寺礼堂の釈迦如来像

  10月の釈迦念仏会の際に開扉

住所

奈良市五条町13-46

 

 

訪問日 

2012年10月21日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

唐招提寺・伽藍と名宝・礼堂

 

 

 

拝観までの道

近鉄橿原線の西ノ京駅で下車、東側に出て、線路と平行している道を北へ5〜10分行くと、突き当たりが唐招提寺である。

 

金堂、講堂の東側に鼓楼という小さなお堂があって、その先に南北に細長い、美しい建物がある。古代の寺院には必ずあった僧坊(僧の住むところ)だった建物で、その南半分は礼堂(らいどう)に造りかえられている。

礼堂はその名の通り拝むためのお堂。西側にある鼓楼に仏舎利をまつっており、それを礼拝するための場所がこの礼堂である。

 

礼堂には清凉寺式釈迦像が安置されている。秘仏で、釈迦念仏会が行われる10月21日から23日までの3日間公開される。また、鑑真請来の仏舎利の容器である国宝の金亀(きんき)舎利塔も公開されるという。

事前に問い合わせたところ、釈迦像はその3日間の日中拝観可能(10時〜16時)、金亀舎利塔は21、22日両日の14時からはじまる法要の直後のみ拝観可能というお話だったので、21日のご法要の時間にお訪ねした。

 

 

拝観料

礼堂の拝観料100円(そのほか唐招提寺入山の際に600円必要)。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

鑑真によって開かれた唐招提寺は、平安時代初期ごろまでは活発に堂塔の整備がなされたが、その後衰退していった。

鎌倉時代に入って南都では戒律復興の機運が高まり、それとともに唐招提寺の復興が企図されていく。

 

まず、興福寺で活躍し、のちに笠置寺や海住山寺に移った貞慶が、唐招提寺の礼堂を修理し、釈迦念仏会を創始した。貞慶らこの時代に南都の戒律復興を進めた僧らにとって、仏教の大もとであるお釈迦さまを念じ帰依することと、僧として戒をおろそかにしないことは、いわば車の両輪であった。ただし、貞慶の段階では、興福寺の末寺としての唐招提寺復興という枠組みにとどまっていた。

 

次に登場したのは、唐招提寺中興の祖といわれる覚盛(かくじょう)である。彼は貞慶が興福寺内に設けた戒律研究の道場の最年少メンバーに選ばれた俊英で、のちに唐招提寺に長老として入寺し、改めて唐招提寺流律宗を確立することになる。

唐招提寺の初夏の風物詩で、うちわまきという行事がある。鼓楼からハートの形をしたうちわが撒かれるこの行事は、覚盛の命日である5月19日に行われ、大勢の参拝客で賑わう。これは覚盛が戒律を守って、蚊を殺さずにうちわで追ったという故事にちなむものである。

 

覚盛の弟子で、唐招提寺の長老を継いだのが、證玄(しょうげん)である。彼は釈迦如来像を造立して、礼堂に安置し、鑑真請来の舍利とともに釈迦念仏の本尊とした。

かつては、釈迦念仏は7日の間不断で行われたというが、今日では10月21日から23日に法要として行われている。

 

拝観の環境

この日14時少し前に唐招提寺の礼堂を訪れると、たくさんのお坊さんが入堂し法会がはじまるところだった。一般の方で、お堂の端にあがっている方もいたが、私は他の堂の拝観をしながら法会の終了を待つことにした。

この日の法会は1時間余り続き、その最終段階で金亀舎利塔がお坊さん2人の手でお堂の東側の廊下に設置された。

法会の終了後、お坊さん方に続いて、一般の参拝客も順に舎利塔を礼拝することができる。私も礼拝の列に加わらせていただき、その後堂内で釈迦如来像の拝観をさせていただいた。

 

釈迦如来像は厨子(江戸時代前期)中に安置され、暗く見えづらいが、お寺の方が懐中電灯をご用意くださっていたので、それを用いると像の様子がよくわかった。

 

 

仏像の印象

本像は平安時代に中国よりもたらされた京都・清凉寺の釈迦如来像を模した、清凉寺式の釈迦像である。

像高は約170センチ、針葉樹の材を用いた寄木造。

威厳のある顔つき、また大きくしっかりとつくられた手の様子など、生気ある像である。

 

納入文書より1258年に造立されたと知られる。作者の名前は残念ながらわからない。

しかし、これより前、1249年に西大寺の叡尊が仏師善慶に命じて清凉寺釈迦像から直模させており、その像は西大寺に現存する(本堂安置)。叡尊もまた戒律復興に努力した高僧であり、その関係の近さからいって、この唐招提寺の釈迦像も同じあるいはごく近しい仏師集団によって造立されたと考えてよいと思われる。

 

西大寺の釈迦如来像と比較すると、下半身はこの像の方がやや細い。衣の襞(ひだ)は細かく精緻といっていいほどに丁寧に体全体を覆うが、これも西大寺の像に比べれば、若干整理が進んでいるようである。

 

 

その他

この像には135通もの文書類が納入されていた。それによれば、1万人以上の人が本像の造立に力を合わせたことがわかる。中に、一切衆生の成仏を願い多くの結縁者の名前が列挙されている文書があるが、そこに人名に混じって、虫の名前までも書かれているものがある。クモ、イホ(魚)、トリ、シシ(獣)、ツヒ(貝)、ノミ、シラミ、ムカデ、トンハウ(蜻蛉)、アリ、ミミズ、カエル、カ、かいこ、かに… 人が成仏できるだけでなく、すべての生きとし生けるものも仏になれるようにと願った当時の人の心を思うと胸が熱くなる。

 

 

さらに知りたい時は…

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』9、中央公論美術出版、2013年

『日本中世の社会と寺社』、細川涼一、思文閣出版、2013年

『鑑真』、東野治之、岩波新書、2009年

『仏教発見!』、西山厚、講談社現代新書、2004年

『奈良六大寺大観 補訂版』13、岩波書店、2001年

『国宝鑑真和上展』(展覧会図録)、東京都美術館ほか、2001年

『中世の律宗寺院と民衆』、細川涼一、吉川弘文館、1987年

「資料 唐招提寺礼堂釈迦如来像納入文書」(『大和文化研究』2巻4号、5号)、小林剛編、1954年6月・8月

 

 

仏像探訪記/奈良市