十輪院の石仏龕

  珍しい地蔵、釈迦、弥勒の三尊

住所

奈良市十輪院町27

 

 

訪問日 

2008年6月28日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

 十輪院ホームページ(国宝・寺宝)

 

 

 

拝観までの道

十輪院は奈良公園の南の静かな町の中にある。

このあたりは奈良町と通称される旧市街地で、興福寺の門前町として発展した区域である。元興寺、福智院などのお寺も多い。

最寄り駅は近鉄奈良駅(徒歩20分)またはJR桜井線の京終駅(徒歩15分)。最寄りのバス停は「福地院町」か「田中町」である(JR奈良駅または近鉄奈良駅より奈良交通バス)。

 

南門は簡素なつくりだが、本堂と同時期のものと考えられている。その正面が本堂。拝観は本堂の左奥の庫裏に声をかける。

ただし、月曜日(月が祝日の時は翌火曜日)、12/28~1/5 、1/27~28、8/16~31は拝観不可。

 

 

拝観料

400円

 

 

お寺や仏像のいわれ

十輪院の創立は不詳である。元興寺子院と書かれた後世の史料もあるが、はっきりしない。その名が歴史にはじめて登場するのは鎌倉時代後期の仏教説話集である『沙石集(しゃせきしゅう)』の中で、すぐ近くの福智院などとともに、霊験あらたかな地蔵菩薩の寺として紹介されている。

 

本尊は地蔵菩薩像を中心とする石仏龕(がん)で、寺名の由来も、地蔵菩薩の基本的な経典のひとつである「地蔵十輪経」から来ていると思われる。

本堂は本来石仏龕を拝するための礼堂(らいどう)で、鎌倉時代のもの。お寺の本堂といえば天井の高い大きな空間を想像するが、この本堂は天井が低く、こじんまりとしたやさしいつくりである。住宅風の建築といえるかもしれない。石仏龕の高さにあわせて本堂が後からつくられたためと、お寺の方がご説明くださった。

なお、はじめ石仏龕は露座で、のちに覆屋(おおいや)が設けられ、さらに本堂と覆屋を結ぶ合の間がつくられて、現在のかたちとなったそうだ。

 

 

拝観の環境

石仏龕は、本堂と覆屋をつなぐ合の間から拝観できる。すぐ前からであり、照明もあるので、とてもよく拝観ができる。

覆屋で守られてきたので、石仏龕の保存状態はとてもよい。しかし、龕は全体的にもろくなってきているということで、以前はぐるりと回って拝観できたそうだが、現在は正面からのみの拝観となっている。

 

 

仏像の印象

この石仏龕は、なかなかユニークなつくりをしている。

そもそも龕というのは、壁面にくぼみを設けているものの意味である。ところが十輪院の石仏龕は壁面でなく、縦、横、高さそれぞれ2メートル半ほどの大きさに花崗岩を組み合わせたものである。中央に地蔵菩薩立像、その左右は釈迦と弥勒、さらにが二天像、仁王像が刻まれる。龕の構造であるので、地蔵が奥に、そして脇の仏は手前に張り出した岩に刻まれ、立体の群像になっている。なお、その上面も平たい岩で覆っている。

 

地蔵を中尊にして、釈迦如来像、弥勒菩薩像を脇侍とするのは、過去仏の釈迦、未来仏の弥勒の間の現世を地蔵が担当しているという意味であることは分かるが、実際にこのような組み合わせでつくられている像は大変珍しいと思う。この3尊は高浮き彫りであらわされる。そして、その脇の二天像は中門を、仁王像は南大門をあらわしているのだという。これらは線彫りである。

さらに、地蔵像の回りには地獄十王像や飛天像が、また十王像と脇侍像の間の側面(正面からは見えにくい)には不動、聖観音が、さらに外側には五輪塔やさまざまな梵字が刻ませていて、きわめて賑やかである。また、龕の外側、東西北の三面にも四天王や五輪塔の線彫りがあるという。

 

中尊の地蔵菩薩像は高さ170センチ余で、ほぼ等身大の大きさ。脇侍像は約150センチである。全体的には鎌倉時代前期ごろのものと思われるが、中尊以外はそれぞれ長方形の石に刻まれているに対し、中尊のみは仏像の姿に沿って切り出されているように見え、年代に差がある可能性もある。しかし、中尊、脇侍とも全体的にのびやかな印象である。線彫りの二天像、仁王像は細い石の面に刻まれているにもかかわらず、動きがあってややユーモラスでもある。

 

 

その他1(本堂内のその他の仏像について)

本堂の脇壇に理源大師聖宝像とされる僧形像(像高約80センチの坐像)が安置されている。聖宝(しょうぼう)は平安初期の真言宗の高僧。頭部内に銘文があり、江戸時代初期に宗印と弁蔵という仏師によってつくられたことが知られる。

宗印は秀吉が発願した京都方広寺の大仏や、戦国時代に焼け落ちた東大寺大仏頭部の再興にかかわったとされる当代を代表する仏師である。方広寺大仏は地震で崩れ落ち、東大寺大仏のこの時の頭部は木製で、のちに銅で造り直されたため、宗印らの造った大仏はいずれも見ることが叶わないが、この聖宝像を見ると、写実を極めた中世の肖像彫刻を思わせるみごとな造形で、宗印が並々ならぬ技量をもった仏師であったことがわかる。暗い場所ではあるが、間近で拝観できる。

 

本堂内の脇部屋は特に天井が低く、軒を高く堂々とという造りでないこの建物の特徴がとてもよくわかる。ここにはケースがしつらえてあり、伝来あるいは発掘された小さな仏像等が展示されていて、ミニ博物館のようになっている。

中で面白いものは、像高わずか4センチ半の両頭愛染明王坐像である。愛染と不動は一体のものとする考えから生まれたもので、絵画には何点か優品が知られているが、彫刻で中世にさかのぼるものは本像が唯一の遺例であるかもしれない。材はヒノキで、石仏龕の前の敷石(葬儀の際、座棺を据えた石という)下から見つかったものだそうだ。

 

 

その他2(不動堂の仏像と境内の石仏について)

本堂に向って左手の不動堂の本尊は、不動三尊像である。毎月8、18、28日に開扉される。金網ごしでやや距離があり、特に、可愛らしい感じの脇侍の童子像は飾り物で見えにくい。

全体の印象としては、平安後、末期時代の不動像らしく、忿怒相のなかにも優美さが見える。中尊は像高約1メートルでヒノキの寄木造、脇侍像は像高約45センチでヒノキの割矧(わりは)ぎ造である。

 

本堂に向って右手の小さな庭園には、中世期の石仏が何体か置かれている。特に「興福寺曼荼羅石」と呼ばれる石造物は、興福寺の中金堂、西金堂、東金堂、北円堂、南円堂、南大門の伽藍などを、それぞれの本尊を線彫りすることで表すという非常に珍しいものである。ただし、保護のために小さな覆い屋の中にあり、よく見えない。

 

 

さらに知りたい時は…

『大和古寺大観』3、岩波書店、1977年

 

 

仏像探訪記/奈良市