元興寺の阿弥陀如来像

  親しみのわく顔つきの阿弥陀さま

住所

奈良市中院町11

 

 

訪問日 

2012年1月9日、 2017年11月26日

 

 

拝観までの道

近鉄の奈良駅やJR桜井線の京終駅からは徒歩15分くらい。

興福寺の南側にある猿沢池より南へ500メートルほど。

 

元興寺ホームページ

 

 

 

拝観料

400円

 

 

お寺のいわれなど

奈良時代の高僧、智光が感得したという「智光曼荼羅」を本尊とする阿弥陀信仰の寺である。宗派は真言律宗。

 

元興寺の歴史は、京都、奈良の古寺の中でも別格というべきものである。

その前身は、蘇我氏によって6世紀後半に創建された法興寺(飛鳥寺)。すなわち日本最古の本格的寺院の流れを汲む。いわゆる大化の改新で蘇我氏宗家が滅亡した後、かえって重きをおかれるようになり、奈良時代直前には大官大寺、薬師寺、弘福寺(川原寺)とともに四大寺とされた。

 

平城京が造営されると、大官大寺(移転後は大安寺)、薬師寺の移転から若干遅れたが、法興寺も平城京に移され、この時から元興寺と名乗った。奈良時代から平安前期にかけ、東大寺に次ぐ寺格を誇り、興福寺とならんで法相宗の教学の中心であった。

 

広大な寺域には南大門、中門、金堂、講堂が南北に一直線にならび、東に五重塔、西に小塔院、北側に僧坊が建ち並んでいた。そのほとんどは現在は住宅地となっている。元興寺のある一帯を「ならまち(奈良町)」とよび、近世の町並みがよく残る地域として知られるが、ここは実は元興寺の旧境内地なのである。

今の元興寺の本堂およびその横に建つ禅室は、かつての東僧坊の一部を改修したもの。法興寺から運ばれた飛鳥時代の瓦が一部ではあるが、今も使われているなど、この寺院の長い歴史を受け継いでいる。

 

平安中期以後、律令国家の衰退と軌を一にして元興寺もまた急速に衰えてゆく。

ある時期より元興寺の一部分、すなわち今の元興寺本堂と禅室を中心とした一角が浄土教の道場として極楽坊(極楽院と称していた時期もある)と呼ばれるようになった。

やがて元興寺極楽坊は元興寺本体から離れ、庶民信仰の寺として存続していく。1977年になって元興寺の名前に復した。

 

 

拝観の環境

拝観受付は東門にある。正面が本堂。その左手に収蔵庫がある。

重要な仏像は収蔵庫に安置される。

正面が奈良時代の五重小塔、その左側に平安時代の阿弥陀如来像、右側のガラスケース中に鎌倉時代の弘法大師像、聖徳太子像などが展示されている。

 

阿弥陀如来像はケースの中での展示ではなく、よく拝観できる。側面の様子もよくわかる。

 

 

仏像の印象

阿弥陀如来像は像高150センチを越え、堂々たる半丈六の坐像である。

ケヤキの一木造だが、一部塑土を併用する。特に衣の表現の部分で塑土が使われている。こうした塑土の併用は平安前期彫刻では時折見られるが、この像は全体的に穏やかな雰囲気になっていて、平安中期の作と思われる。

来歴はよくわからないが、別院の禅定院多宝塔本尊だったともいわれる。近世〜近代には本堂本尊としてまつられていた。

 

この像の特色は、親しみやすい顔立ち、堂々とした体躯、そして粘りのある衣の表現である。粘りがあるというと変な言い方だが、よく見ていくとひとつひとつの線に変化がつけられ、動きがある。前述した塑土を用いた効果であろう。

 

胸は大きく、膝張りも大きく、安定感がある。

肉髻は自然な盛り上がりを見せ、螺髪の粒は小さめで、整っている。

額や顎は狭く、ほおは自然な豊かさがあるが、それほどには張らない。口は小さめで、よく見ると鼻と口の中心がわずかにずれている。これによって顔に動きというか豊かな表情が出ているように思う。

また、見る角度によって雰囲気が変わるようにも感じる。

 

 

弘法大師像と聖徳太子像

弘法大師像と聖徳太子像(孝養像)は、いずれも多くの納入品が込められていたことで注目される。

弘法大師像はヒノキの寄木造、玉眼。像高約80センチと、ほぼ等身大の坐像。鎌倉末期の1325年の奥書のある法華経が納入されていたので、この頃の作とされる。弘法大師像としては、比較的若々しい感じの像である。

 

聖徳太子像は、像高120センチほどの立像で、ヒノキの寄木造、玉眼。

1268年に僧俗5,000人もの合力によって造立されたことが納入品から知られる。作者は善春。年代のわかる聖徳太子像の中でも早い時期のものとしてよく知られる。

 これとは別にもう1躰の聖徳太子像(2歳像、南無仏太子像)がある。像高約70センチ、ヒノキの寄木造、玉眼。

鎌倉時代末期ごろの作と思われる。像内に高さ17センチほどの五輪塔が納入されていることがX線撮影によってわかっている。

 

そのほか、室町時代末期の地蔵菩薩立像が安置されている。銘記より1544年に宿院仏師の定正(定政)によって造立されたことが分かっている。

 

 

その他

この寺の南側には、もうひとつの元興寺がある。

極楽坊が独立していったのちに残された元興寺(元興寺塔跡)で、観音堂と五重塔を中心とした小規模な寺院であったが、それらも幕末に火災で焼けてしまい、現在は仮堂と塔跡だけでかろうじて存続する。宗派は東大寺と同じ華厳宗である。

 

しかし、この寺にはすぐれた2躰の仏像が伝来する。平安前期時代の薬師如来立像と鎌倉時代の十一面観音立像で、ともに奈良国立博物館に寄託されている。

ことに薬師如来像は平安前期彫刻らしい重厚な一木造の像で、博物館の本館(なら仏像館)の中央室に展示されていることが多い。

 

元興寺塔跡は入口が西側にある。細い路地が縦横に走る町の一角で、地図がないとやや分りづらい。目印は御霊神社で、その北側の路地を入る。

塔の見事な壇と礎石、そして13世紀のおもむきある石灯籠があり、自由に拝観できる (パンフレットを求める場合は1部100円)。

 

 

さらに知りたい時は…

『日本美術全集』4、小学館、2014年

『元興寺の歴史』、 岩城隆利、吉川弘文館、1999年

『解説版 新指定重要文化財3 彫刻』、毎日新聞社、1981年

『大和古寺大観』3、岩波書店、1977年

 

 

仏像探訪記/奈良市