伝香寺、西光院、れんじょう寺の仏像

  奈良市内の裸形着装像

西光院
西光院

住所

奈良市小川町24(伝香寺)

奈良市高御門町21(西光院)

奈良市西紀寺町45(れんじょう寺)

 

 

訪問日

2012年5月6日

 

 

この仏像に姿は(外部リンク)

いさがわ幼稚園・伝香寺

 

 

 

伝香寺について

伝香寺(でんこうじ)は近鉄奈良駅の南、約5分。

鑑真の高弟によって創建されたと伝えられるが、不詳。16世紀後半に、筒井順慶の菩提を弔うため、順慶の母が再興した。宗派は律宗。

本堂はこの再興時のもので、小規模だが端正な近世建築である。本尊も同時期の作。年に2度拝観日が定められていて(3月12日と7月23日)、本堂を開扉するが、その日以外は本堂は原則非公開。

 

 

地蔵菩薩像の拝観

この寺には、客仏として鎌倉時代の地蔵菩薩像が伝わる。伝来の経緯は不明。本堂横の地蔵堂(収蔵庫)に安置される。

 

本像については、以前は年2度の拝観日に訪れるか、事前予約での拝観だったようだ。ところが昨年(2011年)、この伝香寺をはじめ、福智院十輪院大野寺など十か寺の地蔵菩薩を「大和地蔵十福霊場」として巡礼する催しがはじまり、それに伴って、特に事前連絡なしでも拝観が可能となった(お寺の入口で「お地蔵さまのお詣りです」とお伝えすること)。拝観料は300円。

 

大和地蔵十福霊場ホームページ

 

収蔵庫の扉は完全には開かず、覗き窓を開けてくださるので、そこから拝観する。

比較的距離が近く、ライトもあり、よく拝観できる。

なお、鎌倉後期ごろの聖徳太子二歳像(南無仏太子像)が地蔵菩薩の厨子向って右側に安置されている。

 

 

地蔵菩薩像について

伝香寺の地蔵菩薩像はいわゆる裸形着装像、すなわち裸の姿でつくられ、本物の衣を着せている仏像である。こうした裸形の像は全国で50例あまりが知られている。古いものは平安時代の聖徳太子像(広隆寺)や男神像(滋賀の飯道神社)、武内宿禰像(東寺)があり、室町時代や江戸時代の像もあるが、多くは鎌倉時代につくられている。

また、大きく分けて下半身に下着や裳を着用しているように彫られているものと、全裸に彫りあげられているものがある。この伝香寺の像は全裸の像として最古の作品である。

 

像高は約1メートルの立像。ヒノキの割矧ぎ造、玉眼。着装像なので、顔と両手のみが見えている。そのためか、小さく感じられる像である。衣は年一度、7月23日の地蔵会でとりかえられるとのこと。

端正な顔立ちの像である。きりりとして、優しいいうよりも厳しさを感じさせる。僧形の頭頂部のカーブが美しい。また、くちびるに残る朱が全体を引き締めている。

 

 

納入品について

本像は決して大きな像ではないのだが、いくつもの納入品が納められていたそうだ。この納入品がなかなか興味深い。

頭部には高さ4.5センチの舍利壷が納められ、その中には仏舎利と像高2センチほどの小さな薬師如来坐像が込められていた。

また、腹部には経典、願文、結縁交名が、左足腿の中には十一面観音立像(像高約11センチ)が納められていた。これらは1949年の解体修理時に見いだされたという。

 

地蔵菩薩像の像内になぜ薬師像、十一面観音像が納められていたのだろうか。

奈良の神社といえば春日大社である。春日の神さまは四所明神といって、4柱(ほかに若宮もあるが)の神さまであり、それぞれが仏の化身でもあると考えられていた。神さまと仏の対応関係は時代によって変わったりもするのだが、中世には、春日の四所明神の本地は釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、十一面観音とされていた。

これを伝香寺の地蔵菩薩像にあてはめて考えれば、まず本体の地蔵、納入されていた薬師と十一面観音像、そして舍利は釈迦の遺骨ということで、四所明神の本地仏が揃うわけである。つまり、この像は、春日の神の本地仏として造像されたものであることがわかる。

 

また、造像に際しての願文も納入され、そのうち妙法尼の願文から、この人物が造像の中心人物であったことがわかる。それによると、彼女は83才であること、二親、ことに母の菩提を弔うための造像であること、また春日四神のお導きにも言及している。春日神社は藤原氏の守り神であり、彼女自身もはおそらく藤原氏出身であったのであろう。さらに結縁交名には260名もの人物が書かれているが、その中にも藤原氏出身関係や興福寺関係と思われる人物が多く登場する。なお、結縁交名も妙法尼の手になる。

ほかに2名の人物の書いた願文が納入されていたが、その中に1228年の年が書かれている。

 

伝来不明であること、制作にあたった仏師名がわからないことは残念だが、春日の神さまを仏としてあらわした像であること、願主が女性であること、造像の年も知られ、まことに貴重である。

 

 

西光院について

伝香寺から東南方向へ徒歩約10分、高御門町というところに、西光院というお寺がある。

近鉄奈良駅から南へ10分強、また、桜井線の京終(きょうばて)駅からは北へ約10分。

 

宗派は東大寺と同じ華厳宗。もと元興寺の子院であったと伝える。

本尊は弘法大師像。ほかに平安時代の十一面観音像や戦国期の地蔵菩薩像を所蔵するが、十一面観音像は奈良国立博物館に寄託中。

 

拝観は、4月下旬に開帳、あるいは非公開と書いたものがあるが、今回問い合わせたところ、秘仏ではないので、いつでもお訪ねくださいということだった。念のため、事前に連絡してうかがうのがよいと思う。志納。

 

 

弘法大師像と地蔵菩薩像

本尊の弘法大師像は「廿日(はつか)大師」とも呼ばれるが、伝香寺の地蔵菩薩像と同じ裸形着装像である。

像高約80センチ。玉眼を用いた鎌倉時代の彫刻である。

弘法大師の裸形像としては、ほかに鎌倉の青蓮寺の像が「鎖大師」として有名である。しかし青蓮寺の像が溌剌として若々しく、また鋭さも見えているのに対して、本像は平明な印象がある。宗教者のきびしいまさざしは影をひそめ、やさしい穏やかな表情で、我々を優しく導いてくれそうな、そんな感じを持つ。

お寺の方によると、弘法大師30歳代の姿なのだそうだ。

お堂の中は明るく、近くよりよく拝観させていただける。

 

本尊に向って右側に、地蔵菩薩像が安置されている。

像高約60センチ。左足を踏み下げる。にらむような強いまなざしの像である。

像内に銘文があり、戦国時代の1548年、東大寺の実清(良学房)の作であるとわかる。実清は、この時代、奈良を中心に活躍した宿院仏師の登場に一役買った人物と考えられ、この像の銘文にも宿院仏師の源三郎らの名前が見える。

 

れんじょう寺観音菩薩像
れんじょう寺観音菩薩像

れんじょう寺について

れんじょう寺は西光院から東南に徒歩約10分。最寄り駅は桜井線の京終で、やはり徒歩10分ほどである。JR奈良駅や近鉄奈良駅からは、奈良交通の市内循環バスで「紀寺町(きでらちょう)」下車。

 

れんじょう寺の字は、「れん」は王ヘンに連、「じょう」は王ヘンに成を書く。この「じょう」だが、古代には「城」の字だったらしい。

寺伝によれば、行基によって創建され、平安時代前期に紀氏によって再建され、紀寺とも称したとある。行基草創はともかくも、古代の名族・紀氏ゆかりの古刹であることは確からしい。奈良時代末に紀氏が宮廷で大きな力をもったことがあり、本寺はその時代に整備されたとする推測がある。

現在は浄土真宗である。

 

 

拝観について

本尊はかつて50年に一度の開帳仏であったそうだが、現在は毎年5月中のみ公開している。拝観料は400円。

本堂内、間近な位置でよく拝観させていただける。

 

 

観音菩薩像の印象

本尊は阿弥陀三尊像だが、同時の作ではない。

中尊、阿弥陀如来像は裸形着装像で、鎌倉時代ごろの作とされる。

上半身は裸形を見せ、下半身には袴をつけている。この袴は50年ごとに取り替えられるそうで、かうてはその時に開帳されていたそうだ。堂内の裏手には、以前につけていた袴が展示されている。

 

向って右側の観音菩薩像は三尊中最も古い作で、奈良末から平安前期時代の仏像である。

一方左側の勢至菩薩像は、観音像をモデルとしてつくられた室町時代ごろの補作と考えられている。寄木造。観音像と姿勢が反転し、細部はたいへんよく似ているが、よく見ると雰囲気はかなり異なっている。比べながら見ると興味深い。

 

三尊中いちばん古い観音菩薩像は、像高約110センチの立像。一木造で、内ぐりをほどこさない、古様な像である。

顔は小さく、プロポーションがよい。やや離れると厚みのある体つきに見えるが、近づくとスマートに感じるのは不思議である。

両目はやや接近する。口は強く結んで、なかなか厳しい表情である。まげは低いが、入念につくる。

若干顔の左右対称が崩れているようにも見えるが、顔や上半身は向って左側が補修されているそうで、かつて損傷を受けたあとなのであろう。ほかにも手先や足先など後補部分がある。また、表面もやや荒れている。歴史の厳しい荒波をくぐり抜けてきたことが感じられる。しかし、向って斜め右の面から見た顔の表情や、下肢の衣の様子はすばらしい。

 

 

阿弥陀如来像の印象

中尊の阿弥陀如来立像は、像高約170センチとほぼ等身大の像である。上半身は何も着けず、胸の下、胴がくびれたところから袴を着用しているために、下半身が長く感じられる。

ほぼ直立の姿勢で、やや硬さも見られるもののきりりとした顔つき、白く着彩した肌、華やかな袴、そして台座には雲をかたどった飾りをつけて、おごそかに来迎するその姿はインパクトがある。

 

ことに特徴的なのは、波状をした髪である。

もともとインドで仏像が誕生した際、髪の表現として、ウエーブのかかった髪型と、ひとつひとつの巻き毛を強調した螺髪(らほつ)という髪型という2つの表現がその代表的なものとして登場していた。

日本にもこの2種類は伝来したが、螺髪が圧倒的に優勢であった。

その後、10世紀に宋より請来された清凉寺の釈迦如来像の髪が波状であったことなどが契機になったのであろうか。ウェーブのかかった髪型の仏像、また光背化仏、観音像の頭上の仏面でこの髪型のものが登場してくる。

このれんじょう寺の阿弥陀像も、裸形着装像であることと髪が波状であることは、生身の仏像をめざすという方向で関連しているものと思われる。

 

袴は50年に一度替えるのだそうで、前回は1998年だったとのこと。西陣のものだそうで、4月の念仏会の翌日に未婚の女性2人が左右に立って着せ替えるのだという。

 

 

その他

奈良市内に伝わる裸形像としては、この3像のほか新薬師寺のおたま地蔵尊がある。

 

 

さらに知りたい時は…

『仏像歳時記』、關信子、東京堂出版、2013年

「奈良市 伝香寺」(『あかい奈良』2008年冬号)

『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇』4、中央公論美術出版、2006年

「秘仏巡礼」3(『大法輪』72巻8号)、白木利幸、2005年8月

「裸形着装像の成立」(『Museum』589)、奥健夫、2004年4月

「中世における仏像の仏性」(『立正史学』91)、生駒哲郎、2002年

「如来の髪型における平安末~鎌倉初期の一動向」(『仏教芸術』256)、奥健夫、2001年5月

『奈良市の仏像』、奈良市教育委員会、1987年

「西光院着装弘法大師像」(『Museum』408)、田中義恭、1985年3月

「伝香寺裸地蔵菩薩像について」(『Museum』167)、杉山二郎、1965年2月

『奈良県指定文化財』第3集、奈良県教育委員会、1958年

「二躯の裸形弘法大師像について」(『仏教芸術』22)、佐和隆研、1954年10月

 

 

仏像探訪記/奈良市