東仙寺の阿弥陀、薬師、千手像

  熊野三社の本地仏

阿弥陀如来像
阿弥陀如来像

住所

新宮市新宮4603-1

 

 

訪問日

2009年5月17日

 

 

 

拝観までの道

東仙寺は、JR紀勢線の新宮駅から南へ約20分のところにある。

駅にレンタサイクルがあり、熊野速玉大社などの近くの名所とあわせて回るのには便利。

 

拝観には事前連絡が必要。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

東仙寺は、寺伝によれば古代に開かれ、源氏出身の女傑・丹鶴(たんかく)姫が中興したという。

もとは新宮市街の北、熊野川を背にした高台にあったが、江戸時代初期、新宮に封ぜられた浅野氏はこの要害の地に城を築くことにしたため、東仙寺はその西側の薬師町に移された。なお、新宮城はその後にこの地を治めた紀伊徳川氏家老の水野氏によって整備され、丹鶴姫ゆかりの地であるとして丹鶴城ともよばれた。現在は丹鶴公園となっている。

 

薬師町の東仙寺は、19世紀末に火災で焼失してしまった。ただし、阿弥陀、薬師、千手観音の3躰の仏像は村人に救い出され、池に投げこまれて助かったという。これらの仏像に残る破損は、この時のものだそうだ。

火災ののち、東仙寺は現在地に移った。もとは檀家を持たない寺であったが、前住職が檀家を募り、また戦時中には困窮した人々を救ったという。現在は立派な本堂が建ち、周囲は木々で囲まれてとても落ち着いた雰囲気の寺であるが、これらは現ご住職の手により徐々に整備されたものだそうだ。

 

 

拝観の環境

阿弥陀、薬師、千手観音の3像は、本堂奥、壇上に安置されている。暗いが、間近から拝観させていただける。

 

 

仏像の印象

阿弥陀如来像は像高90センチ弱の坐像でヒノキの割矧(わりは)ぎ造。肉髻は高く、半球形で、穏やかな顔つき、ゆったりとした上半身、流麗な衣、低い膝など、優美な定朝様式の仏像である。

薬師如来像は像高50センチ余の坐像で、ヒノキの割矧ぎ造。両手先は失われている。阿弥陀如来像と同じく平安時代後・末期の定朝様式の仏像だが、顔は若干大きく、なで肩がややきつく表現されているためか、少しく印象が異なっている感じもする。

千手観音像は像高約60センチの坐像で、ヒノキの寄木造。箱形に材を組んで彫られている室町時代によく用いられた構造で、阿弥陀像、薬師像よりも遅れての造像のようである。この時期の像としては衣文の襞(ひだ)の様子など行き届いたつくりであると思う。

 

 

その他

新宮は本宮に対する言葉である。熊野本宮に対して、新宮は新宮市にある熊野速玉大社のことで、これに那智社をくわえて熊野三社という。

それぞれ本地仏が定められていて、本宮は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、那智は観音である。

東仙寺の3像は、像高や時代が一致していないので、本来一具ではなかったかもしれない。しかし、新宮の地にあって、阿弥陀・薬師・観音の組み合わせの像といえば、当然熊野三社の本地仏と考えられ、造立当初はともかく、ある時期より熊野本地仏として一体のものとしてまつられてきた貴重な遺例である。

 

 

さらに知りたい時は…

「和歌山県所在の熊野三所権現本地仏像」(『和歌山県立博物館研究紀要』16)、大河内智之、2010年

『山岳信仰の美術 熊野』(『日本の美術』465)、中野照男、至文堂、2005年2月

『祈りの道 吉野・熊野・高野の名宝』(展覧会図録)、大阪市立美術館、2004年

『新宮市史 史料編』下、新宮市史編さん委員会、1996年

 

 

仏像探訪記/和歌山県