満願寺の仏像

  千手観音像は春彼岸の7日間の開扉

仁王像(阿形)
仁王像(阿形)

住所

川西市満願寺町7-1

 

 

訪問日 

2014年3月21日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

満願寺ホームページ・仏像

 

 

 

拝観までの道

阪急宝塚本線の雲雀丘花屋敷駅東口より愛宕原ゴルフ場行き阪急バスにて「満願寺」下車、北へすぐ。バスの本数は日中1時間に2本。

 

阪急バス・路線バス

 

仁王門をくぐると、まもなく右手に観音堂、一段あがったところに金堂とその右に毘沙門堂が建っている。

 

 

拝観料

入山料100円+金堂内拝観300円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

満願寺は真言宗寺院。

寺伝によれば奈良時代創建で、平安時代の前期、源氏の祖源満仲(多田満仲)が深く帰依したと伝えられ、源氏の祈願所として栄えた。

室町時代にも足利氏の保護を受け、盛時には50近い子院があったという。

室町時代の末期に火災があったため、現在の金堂や観音堂はそれ以後の江戸時代前期の再建である。

 

 

仁王像について

満願寺の仁王門はどことなく異国風の不思議な雰囲気をもつ建物である。

ここに立つ仁王像は、もとこのお寺の北3キロのところにあった多田院の南大門に安置されていた像で、近代初期の廃仏の時期に移されてきたもの。

像高340センチ、ヒノキの割矧(わりは)ぎ造。よくこれだけの大きさの材が得られたものである。

 

本像は1966年に修理され、その際阿形像の像内より銘文が見つかった。その中には「嘉暦」という元号があり、これは鎌倉時代の末期、1320年代後半の時代を意味する。しかし、銘文は理由は分からないが故意に削られているらしく、ほとんど判読が不能であった。

近年(といっても20年くらい前だが)、この銘文中から仏師康俊(南都大仏師)の名前が読み取れるという説が登場した。

多田院は源満仲によって10世紀後半に創建されたといい、一時荒廃するが、鎌倉時代後期に叡尊、忍性によって再興されて、西大寺流律宗となっている。南大門の再建は1331年だという。

南都大仏師康俊は奈良・般若寺の現本尊の文殊菩薩像などを手がけており、西大寺流律宗関係が深かったようだ。本像が康俊の作であるとするならば、彼の最も遅い時期の作品のひとつということになる。

 

実に堂々として、生き生きとした像である。しかし体勢や衣のなびく様子など動きはあまり大きくなく、そつなくまとめられている。安定感ある像である。

顔つきは眉や頬を高くし、鼻は高いが短く、あごは飛び出すようにして、誇張的にあらわしているものの、卑俗に走ることなく、品を保っている。

拝観は門にはられた金網越しとなる。

 

観音堂
観音堂

 

観音堂の千手観音像について

寺伝によれば、奈良時代の前期、琵琶湖の湖畔の洞窟で光を発していた千手観音の像を運んで安置したのが満願寺の奥の院であり、それが満願寺のはじまりとも伝える。

その奥の院は、近代に入って現在の場所に本尊とともに移された。これが今の観音堂であり、秘仏の千手観音像である。観音堂は本堂の手前、東側に西面して建っている。

春の彼岸中日をはさみ、前後3日間、合計7日間開帳されている。

ライトもあり、よく拝観することができた。

 

本像は、平安時代後期ごろの作。

大きな顔に対して、下肢が細く、短くなっていて、印象的な仏像である。いかにも霊像という雰囲気がある。

頭上面や脇手も大きく、鼻筋はよく通り、口は少し正中線を外して、動きを出している。目は細く、顎は小さめ。大きく力強い天冠台が目を引く。その下に見える髪は束にしないで素朴な印象だが、左右でわかれて耳を横切るさまはまた力強い。

なんとも魅力的な像である。

 
薬師如来像
薬師如来像

 

金堂の仏像について

金堂の中央には室町時代の厨子が置かれ、その左右、外陣に仏像が数躰安置されている。内陣は結界があって入れないが、係の方にお聞きしたところ外陣は入ってよいということで、近くでよく拝観することができた。ただし、堂内はやや暗い。

 

向かって左側に安置されている十一面観音像は、ほぼ等身大の立像。観音堂の千手観音像とは対照的に顔が小さく、下肢が長い。衣のひだは浅く、平安時代後期の仏像と思われる。

 

向かって右側には薬師如来坐像と聖観音立像が安置されている。

聖観音像は素朴な筒型の冠を着け、怒り肩、丸く腹を出し、衣のひだをしっかりと刻む。条帛の布がめくれていたりする表現も面白い。平安時代中頃の作と思われる。

 

薬師如来像は、像高70センチほどと、等身より小さめの坐像である。材はヒノキという。

引っ掻いたような衣の線、異様に肥満した胴体、素朴な顔つきのために不思議な雰囲気を生んでいる。内ぐりのない古様なつくりで、しかも脚部の材とをつなぐ木材が前に突き出しているという、荒っぽさ。誰が、どうしてこうした仏像を作り出したか、とても不思議である。茫洋とした顔つき、深い面奥、また太くつくられた体躯の量感は極めて印象深い。

 

 

さらに知りたい時は…

『古仏(新装版)』、井上正、法蔵館、2013年

『見仏記 親孝行篇』、いとうせいこう・みうらじゅん、角川書店、2002年

「兵庫・満願寺金剛力士像の作者について」(『仏教芸術』228)、奥健夫、1996年9月

『かわにし 川西市史』1、川西市、1974年

 

 

→ 仏像探訪記/兵庫県