東山寺の薬師如来像・十二神将像

  石清水八幡宮から来た仏像

薬師如来像
薬師如来像

住所

淡路市長沢1389

 

 

訪問日

2010年1月31日

 

 

 

拝観までの道

東山寺(とうさんじ)は、丸山尚一さんの『地方佛』に「淡路山上の尼寺」として紹介されているお寺である。

淡路島は、地図で見ると高い山がないので平坦な島かと思いきや、実際には平野部は少なく、標高こそ300から500メートル前後ながら山がちな地形である。

丸山さんは、東側の麓から、雨が降ると滑って車がのぼれない、オート三輪で底を擦りそうな山坂を行ったと書いている。

その頃と違い今は高速道路が出来、「遠田」という高速バスの停留所から東山寺までなんとか歩ける距離である。舗装道路だが、途中急坂がある。

 

それ以外の行き方としては、タクシーとなる。

淡路島には鉄道がないこともあって、タクシーが何社かあり、親切で便利である。淡路交通のタクシー、あるいは島内各社が加入しているタクシー組合の配車センターに事前に時間と場所を指定して電話でお願いしておくと、待っていてくれる。

高速バスの北淡(ほくだん)ICまたは淡路バスの縦貫線の「志筑」バス停が比較的近く、タクシーに乗り替えるのにわかりやすい。タクシー料金は2,000円くらい。ただしは、島内より本州への便の中には、北淡ICや遠田は乗車専門で降車ができない便があるので注意が必要。

 

淡路交通  あわじネット・淡路島へのアクセスガイド

 

「淡路山上」というので、アニメに出てくるような山のてっぺんにぽつんと建っているお寺の姿を想像していたが、実際は山深い中で、特に眺望がよいというのではないものの、紅葉の名所として知られているらしい。

拝観は事前連絡が望ましいとのこと。

 

 

拝観料

700円

 

 

お寺のいわれなど

東山寺は創建は平安前期、空海と寺伝では伝える。本堂と山門は室町時代、淡路国の守護細川氏によって再建された建物で、淡路では最古の建物ということだ。

本堂脇の薬師堂に重要文化財の薬師如来像と十二神将像が安置されていたが、現在は収蔵庫に移されている。

なお、かつては僧寺で、尼寺となったのはそれほど前ではないとのこと。

 

 

拝観の環境

薬師如来像は厨子中に安置されているので、正面からのみだが、近くからよく拝観できる。

十二神将は薬師像の左右に6躰ずつ安置される。こちらも近くからよく拝観できるが、ガラスケース内に窮屈そうに安置され、特に端に置かれた像は拝観しづらいのが残念である。

 

 

仏像の印象

薬師如来像は像高約140センチの立像。内ぐりもない古様な一木造の仏像ある。

全体の印象としては、細身で、成相寺(南あわじ市)の薬師如来像にくらべておとなしい(たとえば螺髪の粒の大きさや衣の線のつくり)が、平安前期彫刻らしい存在感があふれる像で、大変魅力的である。

面長で、鼻筋の通った顔つきは威厳と落ち着きをもっている。くちびるには朱を入れ、顎は肉付きよく、それらが顔の印象を強めている。

腰を絞り、腿を厚くして、重心が低い感じがする。衣の襞(ひだ)は太く表現されているが、決して賑やかすぎてはいない。

股間に流れる衣の線は、左右対称ではない。といってもバランスを崩しているのではなく、向って右は肩の方から、向って左は腰から来る襞が合流しているためにそうなっているので、むしろ自然な表現といえる。左胸の衣の折り返しや裾が足首にかかることなくすっきりとまとめられている様子も、合理的な表現と言えなくはない。全体的には存在感豊かな造形だが、細部にはある種写実へこだわりが見え、シンプルさとメリハリ感をあわせ持ったすばらしい仏像と思う。

両手と足先は後補。また、像の前面には江戸前期に修理の手が入っている可能性があり、もとはさらに強い印象の像であったのかもしれない。

 

十二神将は像高は1メートル前後、ヒノキの割矧(わりは)ぎ造と思われる。頭上に十二支をつけ、動きは小さい。平安時代中期の作らしく、激しさよりも安定した感じの像である。それぞれの像がさまざまなポーズをとり、それが全体としてバランスよくまとまっている感じは、11世紀半ばの広隆寺十二神将像を想起させるが、それより細身で、また若干体勢が生硬なようにも思う。

十二躰すべての台座には、江戸時代前期に法橋(ほっきょう)康祐によって修理されたことが書かれる。辰神将像と申神将像の頭部についてはこの修理時に補われたものである。

 

 

石清水八幡宮から来た仏像

薬師如来像と十二神将像はともにかつて石清水(いわしみず)八幡宮(京都府八幡市)の別当寺に伝来し、近代初期の廃仏の嵐を逃れて移されて来たと伝える。人目を避けるようにして、1躰ずつ人の背に負われて、淡路の山の寺まで来たとお寺では伝えている。

 

これらの仏像は、元石清水八幡宮本殿の東側にあり、神社と一体の存在であった護国寺の薬師堂の本尊と眷属(けんぞく)像であった。石清水八幡宮は、大安寺僧行教(ぎょうきょう)が宇佐八幡の信託を受けたことがきっかけで造られた神社だが、その場所にはそれ以前からお寺があり(石清水寺)、これがのちに護国寺となる。東山寺の薬師如来像は護国寺成立時の作か、あるいはそれ以前の石清水寺の本尊である可能性があり、9世紀前半から半ばにかけての像と推定される。

 

十二神将像は11世紀から12世紀にかけて活躍した貴族、大江匡房(まさふさ)が大宰府にあった時にその地でつくらせ石清水八幡宮までわざわざ運んで、1103年に奉納した像という。作者は真快という仏師で、造像年は1098年とされる。太宰府・観世音寺の馬頭観音像(1130年前後の造像)の銘文にも大仏師として真快の名が見え、当時九州で活動していた仏師の第一人者であったとわかる。

わざわざ九州から仏像を運ぶ必要があったのかと不思議に思わないでもないが、当時の大宰府の高級官人は実入りがよく、他にも大宰府で仏像をつくらせて京に運んだ例が記録にあるそうだ。

 

これらの像は14世紀と15世紀の2度の火災の際も救い出され、17世紀に仏師康祐によって修理が行われたと石清水八幡宮に伝わる記録にある。この康祐の修理についての記録が東山寺十二神将像の台座の修理銘と合致することから、これらの像が石清水八幡宮別当寺である護国寺に伝わった像であることが確認されたわけである。

九州から石清水へ、そして2度の大火と廃仏の嵐、歴史の荒波を奇跡のように越えてきた仏像は今、淡路山上のこの寺に。

 

 

東山寺から遠田バス停へ

東山寺から高速バスの「遠田」まで歩くと40分くらい。

仁王門を出て500メートルくらい下ると、東山寺と彫られた石柱がある。その先右の道をとると、あとはほとんど一本道で高速道路の脇まで行ける。ただし、遠田のバス停はそこから数百メートル南にあり、一般道は高速道と平行していないので迂回しなければならない。地図を持つ方がよい。

 

 

さらに知りたい時は…

『神仏習合をとおしてみた日本人の宗教世界3』、元興寺文化財研究所、1993年

「石清水八幡宮と神仏分離」(『日本美術工芸』660)、伊東史朗、1993年9月

「兵庫・東山寺蔵石清水護国寺旧在の大江匡房奉納真快作十二神将像」(『仏教芸術』203)、武笠朗、1992年7月

『地方佛』、丸山尚一、鹿島出版会、1974年

 

 

仏像探訪記/兵庫県