禅定寺の十一面観音像

  10世紀末、創建当初の本尊像

住所

宇治田原町禅定寺庄地100

 

 

訪問日 

2011年2月13日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

宇治田原町・禅定寺 仏像

 

 

 

拝観までの道

宇治田原町は宇治市の東南。茶を主産業とする、人口1万人ほどの町である。

禅定寺(ぜんじょうじ)はこの町随一の古刹。

JR宇治駅か京阪宇治駅または近鉄の新田辺駅から維中前(いちゅうまえ)行きの京阪宇治バスで終点下車、北北東に徒歩約30分。

 

禅定寺の東北にある猿丸神社の例大祭が毎月13日にあり、その日は市が立ち、大いに賑わうという。そのために13日限定で「維中前」から猿丸神社行き臨時バスが運行される。このバスに乗ることができれば、「禅定寺前」で下車しすぐ。

なお、猿丸神社から北東に行くと、間もなく滋賀県に入る。この道は古くから奈良より近江(滋賀)へと抜ける道として利用されたらしい。

 

京阪宇治バス   猿丸神社行き臨時バス時刻

 

 

拝観料

500円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

10世紀末の創建。もとは天台宗寺院だった。比較的文書が豊富に残り、寺の変遷がたどれる寺院である。

開山は、東大寺の別当をつとめた平崇(へいそ)。

寺の草創にあたってその維持のために荘園が設立されたが、この荘園はその後平等院に寄進される。寄進といっても本当に渡してしまうものでなく、平等院、ひいては摂関家の保護を求めるための措置であった。要するに、歴史の教科書にある「寄進地系荘園」というものである。これに伴い、禅定寺は平等院の末寺となった。

以後摂関家の尊崇を受け、かなり栄えた寺院であったようだが、戦国時代には衰微した。江戸時代になり、曹洞宗寺院として再興されて現在に至っている。

 

十一面観音像はこの寺が造られた当初の本尊、すなわち10世紀末の作と考えられている。

現在は収蔵庫に安置される。

 

 

拝観の環境

収蔵庫内は照明は若干暗めだが、近くよりよく拝観できる。

 

 

十一面観音像の印象

像高は3メートル弱の立像、サクラの一木造で、背中からくりを入れ、背面はヒノキ材をあてている。また手や足先もヒノキ材を用いているという。

 

丸顔で、落ち着いた雰囲気の顔立ちである。ほおの張りやまなざしに若々しい雰囲気がある。頭上には、菩薩面が素朴な感じでぐるりと並ぶ。

左手は曲げて少し内側に入りつつこちらへと伸ばし、右手は下げるが、これもややこちら側へ手を差し伸べるようで、像の前方に豊かな空間をつくり出している。

胴は胸の下でくびれ、腹は丸く突き出す。下半身は長く、下肢では大きな波と小さな波を繰り返す翻波式衣文や渦巻きの文が見える。これは平安前期の彫刻の名残りともいうべき形で、力強さはもはや見られないものの、粘りのあるような衣の線は美しい。

斜めや横からも拝観できる。側面観は腰は厚みがあるが、全体的には細身で、姿勢がよい像とわかる。

 

 

その他の仏像について

十一面観音像の両脇には日光・月光菩薩像が立つ。像高は約2メートル。その手前には等身大の四天王像、獅子に乗る文殊菩薩像、地蔵菩薩半跏像、なぜか像に乗っている大威徳明王像(当初からの組み合わせではない)が並ぶ。本尊を入れて、10躰もの古仏が伝来していることになる。

ただし、十一面観音像以外は、他寺から移されて来た像であると考えられている。しかし、日光・月光像、四天王像、文殊菩薩像はサクラとヒノキを合わせて用いており、そうした木の用い方が何に基づく選択なのかは不明だが、本尊と共通していることから、これらの仏像は本尊と一具で、創建時以来のものではないかという考えもある。

 

なお、史料によれば、本尊は平崇によって安置された8尺の十一面観音像、脇侍として平崇の弟子の利原の願になる7尺の虚空蔵菩薩、文殊菩薩を配したという。

禅定寺本尊の十一面観音像は8尺以上の像高があるが、髪際で見ればちょうど8尺になる(頭上に面をいただいたり、高くまげを結ったりするもあればそうでない像もあるので、髪際で高さを見るという方法がよくとられていた)。

一方、日光・月光菩薩像は、髪際で見れば7尺にはやや足りないが、この2像がもともと十一面観音像と一具の作であったとするならば、史料にある虚空蔵菩薩、文殊菩薩像であった可能性もある。

 

 

その他(巌松院と正寿院)

禅定寺があるのは宇治田原町には、ほかに巌松院、正寿院にすぐれた仏像が伝来する。

 

巌松院(がんしょういん)は、バス停「維中前」から北に徒歩15〜20分。高台にあり、最後は結構きつい上り坂となる。山道のような昔ながらの参道を上がるとお寺の正面にでるが、舗装された迂回路もつくられている。

真言宗の寺院。創建は聖徳太子と伝えるが不詳。江戸時代前期の再興という。近年、無住になりかけていたのを、現ご住職が入山して、法灯を守っている。

本尊は釈迦如来像。その向って左の間に安置されている千手観音立像は、2006年度(2007年3月)に府の文化財に指定された。像高は120センチほど、鎌倉時代の像で、仏師康覧の作だという。

張りのある顔つきに細身の体の像である。下半身の衣の襞は浅く、やや生硬な印象。

拝観は事前連絡が必要。志納。

 

正寿院には像高50センチほどの不動明王坐像が所蔵され、修理銘によれば快慶作とある。実際、醍醐寺に伝わる快慶の不動明王像に近い。天理市にあった内山永久寺(廃寺)の関係遺宝。奈良国立博物館に寄託され、常設展で展示されていることも多い。

 

 

さらに知りたい時は…

『南山城の古寺巡礼』(展覧会図録)、京都国立博物館ほか、2014年

『十世紀の彫刻』(『日本の美術』479)、伊東史朗、至文堂、2006年4月

『平安時代彫刻の文化史的研究』、佐々木英夫、国書刊行会、2004年

『平安彫刻史の研究』、伊東史朗、名古屋大学出版会、2000年

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 重要作品篇』5、中央公論美術出版、1997年

「禅定寺の彫刻とその周辺」、水野敬三郎(『日本彫刻史研究』、中央公論美術出版、1996年)

『宇治田原町史』1、宇治田原町、1980年

『宇治田原町史 参考資料」第三輯、宇治田原町史編さん委員会、1978年

 

 

仏像探訪記/京都府