宮垣区薬師堂の釈迦如来像

  貴重な平安在銘彫刻

宮垣区の風景
宮垣区の風景

住所

福知山市夜久野町直見

 

 

訪問日 

2011年11月28日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

福地山の文化財

 

 

拝観までの道

宮垣区薬師堂は、兵庫との県境に近い福知山市の西部、牧川という川を数キロさかのぼった山あいの里にある。

交通は、山陰本線の上夜久野駅から福知山市コミュニティバス直見線(才谷行き)で「宮垣」下車。ただしこのバスは本数少なく、また土日は運休となる。

下車すると、バス進行方向すぐのところに「重要文化財釈迦如来坐像」と看板があるので、そこを左手に登って行くと、まもなく小さな集会場のような建物がたっている。それが薬師堂である。

 

このお堂は近くの浄念寺の管理ということだが、実際には地元の方が維持されている。

拝観は事前連絡必要。問い合わせは、福知山市教育委員会生涯学習課へ。

 

 

拝観料

志納

 

 

仏像のいわれなど

この薬師堂は、この地から東方1キロ半ほどの山にあった高源寺(廃寺)の後身という。

 

本尊の釈迦如来像は、平安時代後期の作。もと薬師如来像としてまつられていたのだが、1965年に像内から銘文が見つかり、本来釈迦如来像として造立されたことが明らかになった。

釈迦仏と薬師仏とは同じ印相であらわされることが多く、いつのころからか左手に薬壷を乗せ、薬師像として信仰されてきたわけである。このような像名の変更というのは、時にある。

脇侍の日光・月光菩薩像の台座に、1416年の年が書かれている。日光・月光菩薩は薬師如来の脇侍であるので、この頃には本尊はすでに薬師如来像とされていたのだろう。

 

 

拝観の環境

お堂の中は明るく、よく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高は80センチあまりの坐像。ヒノキの寄木造。彫眼。

螺髪は細かく整い、髪際は一直線である。目鼻は大きく、額、口、顎は小さめ。頬は豊かだが、それほど丸顔でない。

後述のように像内銘があり、それによって1109年の作であることがわかっている。1109年といえば、平等院鳳凰堂本尊の造立よりも50年余りあとということになる。まさに定朝様全盛の頃だが、この仏像は引き締まった表情であり、また、衣の襞も柔らかな感じというよりも緊張感をもった強さが感じられる。

上半身は堂々として、手の構えも安定感がある。

膝はやや低め。足をくるむ衣の凹凸が下の肉体の存在をしっかりとあらわし、わずかに見える足先も豊かな肉づきである。下半身の衣の重なりあう様子もおもしろい。

表面の漆箔や彩色は後補。ほかに左手先など後補部分がある。

 

 

銘文について

銘文は長いものではないが、造像年と造像主、願意が明記される。残念ながら仏師名は記されない。

それによれば、1109年に安心という人物が極楽往生を願って釈迦如来像を造立するとある。12世紀初頭のころの銘記がある像というのは希少であり、大変重要な作例である。

また、極楽といえば阿弥陀如来の浄土であるが、阿弥陀仏に祈って往生を遂げたいとするのでなく、釈迦如来像を造立することでとしている点がたいへん興味深い。往生のためには現世での罪が許されるなければならず、現世の救済を願う対象として、釈迦仏がもっともふさわしいと考えたからであろうか。

 

 

さらに知りたい時は…

『夜久野町史』2(資料編)、福知山市、2006年

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・造像銘記篇』2、中央公論美術出版、1967年

「研究資料 丹波国夜久野町薬師堂の天仁二年在銘釈迦如来坐像」(『美術史』59)、中野玄三、1965年12月

 

 

仏像探訪記/京都府