安国寺・医王寺の仏像

  鎌倉末〜南北朝時代の円派仏師の造像

安国寺釈迦三尊像中尊
安国寺釈迦三尊像中尊

住所

綾部市安国寺町寺ノ段1(安国寺)

綾部市梅迫町内谷岡ノ段22(医王寺)

 

 

訪問日 

2011年11月28日

 

 

 

この仏像(医王寺)の姿(外部リンク)

綾部の文化財・医王寺と国重文阿弥陀如来像

 

 

拝観までの道

安国寺は、綾部駅からコニュニティバス(あやバス)黒谷線で「安国寺前」下車。または、JR舞鶴線の梅迫(うめざこ)駅下車、駅の西側の道を南へ、徒歩約15分。随所に道しるべがあり、わかりやすい。

 

あやバス

 

医王寺は、安国寺から舞鶴線の線路をはさんで北東にある。拝観は、安国寺を通じてお願いする。場所は小道の奥の分かりにくいところなので、安国寺さんでよく教えていただく必要がある。

 

 

拝観料

安国寺、医王寺ともに志納

 

 

安国寺と本尊像について

安国寺は南北朝時代、室町幕府によって各国に一寺ずつ置かれた禅宗寺院である。

この地は足利尊氏の生母上杉氏の故地であり、その氏寺は光福寺といった。

諸国の安国寺の中には、もともとあった寺院を改変したものが多いとされるが、この丹波の安国寺もそうで、上杉氏の氏寺であった光福寺を改めたものである。

かつては多くの塔頭、寺領をもち、この地方きっての大寺であったという。

 

山門を入って正面、本堂にあたる仏殿は、江戸時代の再建。それ以前のお堂は山津波で大破したとのこと。その時に本尊も損傷したもののなんとか助かり、その際の修理による脇侍像の部材の取り違えなどあったらしいが、近年改めて修復が行われ、本来の姿を取り戻した。

お堂の入口から拝観できるが、前もってお願いしておくと入堂しての拝観が可能。

 

 

安国寺の仏像

中尊の釈迦如来坐像は豪華な冠をつけた宝冠釈迦像で、像高約160センチ。大きな台座に乗っていて、近くで拝すると見上げるばかりである。大きな冠をつけているためもあって、やや前屈みの顔はますます大きく見える。玉眼に力が感じられ、若々しい表情のたいへん魅力的な像である。円形の光背を負う。

 

脇侍は獅子、象に乗る文殊菩薩像と普賢菩薩像で、中尊と同じく大きな冠をつける。また、中尊同様に袈裟を着けているのは菩薩らしからぬ服制だが、宝冠釈迦三尊像の脇侍としてはよく見られる形である。像高は約80センチの坐像。中尊ともヒノキの寄木造。

脇侍像の像内に銘文があり、仏師として豪円の名と南北朝時代の1341年をさす年紀が見つかっている。円派仏師による基準作例であり、また諸国安国寺の中で草創期の本尊、それもこれほどの大きさの像が一具で伝来している貴重な例である。

 

安国寺の本堂内向って右奥に、地蔵菩薩像が厨子に入って安置されている。こちらも入堂しての拝観をお願いしておけば、間近で拝観させていただける。

像高は約150センチ、ヒノキの寄木造、彫眼。右足を踏み下げ、宝珠と錫杖を持つ。お腹のところにヒモを見せる。姿勢よく、まっすぐ前を向く。落ち着いた作風の像。

平安末から鎌倉前期の頃の作で、安国寺創建前すなわち前身の寺院から引き継がれた仏像であるのかもしれない。

足利尊氏の母がこの地蔵菩薩像に祈って尊氏を生んだという伝説があり、そのために子安地蔵として現在も信仰が厚いという。

 

医王寺
医王寺

医王寺について

室町時代に安国寺の住持によって開かれたお寺で、その名の通り本来は薬師如来を本尊としていたらしい。現在は無住となり、阿弥陀如来像をまつる一堂のみ残る。安国寺の境外仏堂となっているが、管理は地元で行っている。

年4回お祭りの日があって(春秋彼岸、5月8日、8月14日、ただし前後にずれることがある)、できればその日に合わせての拝観にしてもらえるとありがたいとおっしゃっていた。

 

 

医王寺の阿弥陀如来像

阿弥陀如来像は像高約70センチの坐像。ヒノキの寄木造。

玉眼がすずやかで、卵のような質感のあるほおは張りがあり、実に若々しい魅力にあふれた仏像である。姿勢や体つき、衣の流れも破綻ない。

衣には、盛り上げて模様をつける技法が見て取れる。

像内には銘文が残る。それによれば鎌倉末期の1321年に法印尭円がつくったことが知られる。

堂内は電気が来ていない。ご管理の方が懐中電灯をお持ちくださって、ご丁寧にご案内くださった。

 

 

さらに知りたい時は…

『地方仏を歩く』1、丸山尚一、日本放送出版協会、2004年

『あやべ歴史のみち』、綾部市資料館、2000年

『月刊文化財』441、2000年6月

『図説 福知山・綾部の歴史』、郷土出版社、1998年

 

 

→ 仏像探訪記/京都府