乙訓寺の毘沙門天像

  「幽愁の毘沙門天」と呼ばれるお像

住所

長岡京市今里3-14-7

 

 

訪問日 

2014年7月20日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

乙訓寺の文化財

 

 

 

拝観までの道

乙訓寺(おとくにでら)は阪急電鉄京都本線の長岡天神駅より北へ徒歩約20分。

毘沙門天像(平安時代後・末期作)の拝観は事前予約必要。

 

 

拝観料

100円

 

 

お寺や仏像のいわれなど

寺伝によると聖徳太子建立という。境内より奈良時代の瓦が出土しており、長岡京遷都以前よりあったことがわかっている。その後、空海が止住。さらにそののち、宇多法皇が一時ここをすまいとし、堂塔を整備したことから、「法皇寺」と呼ばれた時期もあった。

室町時代に臨済宗となり、さらに16世紀後半、信長の兵火で衰微したが、17世紀後半に徳川綱吉の援助によって復興を遂げるとともに、真言宗に復し、今日に至っている。

 

ところでこの寺は、かつては門から本堂までの間の松並木が美しいことで知られていた。それが20世紀前半の台風(室戸台風)で失われてしまった。このことを聞いた大和の長谷寺の住職の心遣いで牡丹の株が贈られた。現在乙訓寺は牡丹の名所として知られるが、それは長谷寺から分けられた牡丹にはじまっているわけである。

牡丹シーズンにはシャトルバスが運行され、また入山料も必要となる。

 

 

拝観の環境

毘沙門天像は毘沙門堂の奥に接続する収蔵庫内に安置される。

拝観は収蔵庫扉口からとなる。

庫内は明るいが、それほど大きな像でなく、また拝観位置から距離があるため、一眼鏡のようなものがあるとよい。

 

 

仏像の印象

像高は約1メートル、ヒノキの寄木造、彫眼。

全体にややずんぐりしているが、品よくまとめられた優品である。

顔は、目鼻を中央に集め、筋肉の動きをよく出す。口は閉じる。怒りというよりは深い憂いをたたえているようで、その表情は大変に豊か。マントの結び目や小さめの胸甲など、ていねいなつくりの像である。

左手は顔のあたりまで上げて宝塔を護持し、右手は腰のあたりで宝棒を持つ。腰を左にひねり、右足を半歩外側に踏み出すが、それ以上の大きな動きはなく、安定感がある。

足下の邪鬼はほぼ当初のままであり、貴重。

 

 

 その他

本堂内向かって右奥に十一面観音像が安置されている。鎌倉時代の作で、大和の秋篠寺から移されてきた像という。

堂外からの拝観となるため、よく見ることは難しい。

 

 

さらに知りたい時は…

「洛西の仏像」1(『近畿文化』784)、関根俊一、2015年3月

『長岡京市の寺社』(『長岡京市史資料集成』2)、長岡京市教育委員会、2000年

『長岡京市史 建築・美術篇』、長岡京市史編さん委員会、1994年

 

 

仏像探訪記/京都府