醍醐寺霊宝館の薬師三尊像

  開館日は同寺ホームページにて確認を

住所

京都市伏見区醍醐東大路町22

 

 

訪問日 

2008年11月17日  2011年2月13日 

 

 

 

拝観までの道

醍醐寺は、京都市営地下鉄東西線の醍醐駅下車、東へ徒歩約10分のところにある。

または、山科駅と京阪六地蔵駅を結ぶ京阪バスで「醍醐三宝院」下車。

 

京阪バス

 

醍醐寺にはかつては南大門があったらしいが、現在では西側の総門から入る。すぐ左が三宝院で、霊宝館(れいほうかん)は三宝院の前を南に入ると左側に入口がある。

霊宝館の開館は、かつては春(3月下旬〜5月上旬)、秋(10月上旬〜12月上旬)の公開だったが、近年、公開される日が増やされている。

ホームページで確認の上、お出かけを。

 

醍醐寺ホームページ・拝観のご案内

 

 

拝観料

入館料は600円(別に三宝院、下醍醐伽藍の拝観にはそれぞれ600円ずつかかる。若干割り引く共通拝観券もある)。

 

 

お寺や仏像のいわれ

醍醐寺は近代、廃仏毀釈など衰退の危機を迎えたが、寺内の文化財や古記録が散逸することのないよう地道な努力が重ねられたことは特筆に値する。

1930年には霊宝館を設けて寺宝の保全がはかられ、1935年からは一般公開も行われた。戦前の寺院の収蔵庫兼展示施設としてはすぐれたものであったそうだが、手狭になったということで、2001年には新館が開かれた。

 

ところで、この霊宝館やその東側にある金堂、五重塔などの寺域を下醍醐と呼ぶ。これに対し、そこからさらに東、醍醐山(笠取山)の山中に上醍醐がある。下醍醐から徒歩で1時間以上かかるのだそうだ。

醍醐寺の発祥の地は上醍醐である。

9世紀後半、空海の弟子であり実弟でもある真雅(しんが)の門弟であった真言の高僧、聖宝(しょうぼう)が瑞雲たなびく山に分け入ると、山頂近くに泉が湧いていて、翁がその水を「醍醐味である」と讃えていた。聖宝がここに寺を構える希望を伝えると、翁はこの地の神であると名乗り(横尾明神)、守り神となると約したという。

やがて聖宝はこの地に如意輪観音と准胝観音をまつった。これが醍醐寺のはじまりであり、その寺名は「醍醐味」つまり「神の水の妙なる味わい」から来ている。

 

はじめ私寺としてスタートした醍醐寺だが、やがて皇室からの尊崇を受けるようになり、醍醐天皇の発願により薬師堂がつくられた。また、その西の山麓にも伽藍がつくられて、山上の伽藍を上醍醐、山下の伽藍を下醍醐と呼ぶようになった。

このように山岳寺院として成立し、のち山下にも寺域を広げた寺院は他にもあるが、今日に至るも上・下両伽藍ともにこれほどの規模で続く寺院はここ醍醐寺のみと言ってよい。

 

さて、その上醍醐薬師堂だが、初代の堂は老朽化して失われ、現在のものは12世紀の再建である。しかし、本尊の薬師三尊像は当初のもの、すなわち醍醐天皇の命により10世紀初頭につくられた平安前期彫刻の代表作とされる。

この像は拝観ができるのか、上醍醐の薬師堂は通常開扉されているのかが分からず、積極的にお寺に問い合わせてみないままにいたずらに日を重ね、ついに筆者は本来の上醍醐の地でこの仏さまにお会いする機会を逸した。というのも、2000年、この薬師三尊像は山を下り、霊宝館へ遷座と相なったからである。険しい山道を人力で降ろされたのだという。

最近も上醍醐の准胝堂が落雷のために炎上したということがあったが、千年以上奇跡のように伝来した仏像をこの後も永く伝えてゆくために耐火建築の宝物館に移すことは必要な措置というべきであろう。こうした経緯で、現在この上醍醐薬師堂本尊の薬師三尊像は霊宝館に安置されている。

 

 

新しい醍醐寺霊宝館の展示室

霊宝館は3つの部分からなっている。手前が本館、奥が平成館、そしてその南側にある別棟(特別展示スペース)である。

2008年(秋の開館)に訪れた時には、本館に入って左の部屋で現代の作家の作品が展示され、右側の展示室および平成館で醍醐寺の寺宝が展示されていた。

仏像は平成館で展示され、上醍醐薬師堂本尊の薬師三尊像は左手一番奥に安置されている。この像は常設。

その他、やはり10世紀の彫刻と考えられている個性的な五大明王像や上醍醐清滝宮本地仏の金色の如意輪観音像、快慶作の不動明王像などすばらしい寺宝の数々が並ぶ(これら醍醐寺伝来の仏像の中で著名な像は展示されることが多いとは思うが、薬師堂の薬師三尊像以外は展示を入れ替えることがあるそうだ)。

 

2011年(冬期の特別開館)に訪れたときには、 本館は閉まり、平成館と特別展示スペースが開かれていた。特別展示スペースは「仏像棟」と名付けられ、平安時代の如意輪観音像(このお寺に何躰か伝来する如意輪観音像のうち、右足を斜めに立て、左足を踏み下げている像)などが展示されていた。

 

 

拝観の環境

薬師三尊像はガラスなしの展示(他の仏像は多くガラスケースの中に展示されている)であるが、照明は抑え気味でやや暗い。また、正面はすぐ前までは寄れないように結界がなされていて、若干距離があるのは残念だが、斜めの角度からも拝観でき側面観はかなりわかる。

 

 

仏像の印象など

中尊の薬師如来像は像高約180センチの坐像。カヤの一木造とされる。

大きい頭部、首はあるかないかという感じで、体躯は太つくりである。手は長く、また突き出す右手の手首の曲がり方は独特である。手が前に出ている分、両ひざも大きく張り出し、もし真上から見ることができたら、像の形はみごとな三角形を形成していることと思う。

足をくるむ衣の襞(ひだ)は太く大きく平行線のように刻まれる。足先まで袈裟で覆っているのは珍しいが、奈良時代の仏像には例がある。顔は鼻が大きく、林厳そのものである。

螺髪は後補であるのが残念であるが、平安前期彫刻では螺髪を貼り付けているものが多く、歴史の流れの中で失われてしまうことがままある。全身の箔も後補。光背には小薬師仏が6体付けられているが、本体と合わせて七仏薬師を表していると思われる。

 

すばらしい仏像である。写真で見ると、後補の漆箔がやや沈鬱な色であることも手伝って、重苦しい印象であるが、実際に拝観するとすごい力で迫ってくる感じで、確かに日本の仏像彫刻を代表する像であると実感できる。

 

脇侍像は同じ一木造であるが、用材はヒノキかとされる(ヒノキとカヤは同じ針葉樹林の中でも木材として用いられるときわめて似ており、肉眼では区別がつきにくい)。像高約120センチの立像で、中尊に比べて小さな脇侍である(中尊は丈六の4分の3くらいの大きさで、脇侍は等身の4分の3くらいの大きさであるとみることができる)。また、全体の印象としては雰囲気は中尊と共通するが、あえて言えば大人しい作風といえる。しかし、本来中尊と一具でなかったと言えるほどの差異はない。

 

像は907年より醍醐寺を草創した聖宝によって造りはじめられたが、やがて聖宝は亡くなり、後継者の観賢(かんげん)に引き継がれて、912年までに完成した。

作者は、聖宝の弟子の会理(えり)であるという伝承がある。会理は彫刻にも絵画にも長けていたといい、この像を直接刻んだ、あるいは造像を指導したと言われるが、こうした伝は中世以後のものであり、史実といえるかどうか判断は難しい。

 

 

その他1(三宝院の弥勒菩薩像について)

醍醐寺総門入り、すぐ左に子院・三宝院がある。

東西に長く建物がつらなり、一番奥、東の端に本堂(弥勒堂、護摩堂とも)がある。本尊は弥勒菩薩坐像。

以前はお堂の扉口から拝観できたのだが、現在は三宝院に東半分にあたる部分が非公開となっており、残念ながら見ることができなくなってしまっている。公開再開の時期は未定とのこと(2012年11月現在)。

 

醍醐寺ホームページ・三宝院のご案内

 

 

その他2(醍醐水について)

醍醐寺の名前の由来となった醍醐水の泉は、現在も湧き続けているという。軟水のたいへん美味しい水で、300ccのペットボトルにつめて、三宝院で200円で販売されている(通信販売もあるらしい)。

 

 

さらに知りたい時は…

『京都・醍醐寺 真言密教の宇宙』(展覧会図録)、サントリー美術館ほか、2018年

『醍醐寺の仏像』1、総本山醍醐寺、勉誠出版、2018年

『週刊朝日百科 国宝の美』24、朝日新聞出版、2010年2月

『十世紀の彫刻』(『日本の美術』479)、伊東史朗、至文堂、2006年4月

『醍醐寺大観』、岩波書店、2002年

『国宝醍醐寺展』(展覧会図録)、東京国立博物館、2001年

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 重要作品篇』5、中央公論美術出版、1997年

『聖宝』、佐伯有清、吉川弘文館、1991年

 

 

仏像探訪記/京都市