東寺宝物館の千手観音像

  火災の損傷からよみがえる

住所

京都市南区九条町1番地

 

 

訪問日 

2011年3月27日、 2015年3月29日

 

 

この仏像の姿(外部リンク)

東寺ホームページ・宝物館

 

 

 

拝観までの道

東寺(教王護国寺)の最寄り駅は近鉄の東寺駅。

JR京都駅八条口(南口)からは徒歩約15分。駅の南300メートルほどのところに東西に走る東寺通りという道があるので、それを西へまっすぐ行くと、東寺の門(慶賀門)に突き当たる。

 

春と秋の時期、東寺では宝物館および子院の観智院が公開されている(3月20日から5月25日、9月20日から11月25日)。

 

 

拝観料

宝物館は500円。

金堂・講堂、宝物館、観智院の共通拝観券もある(1,000円)。

 

 

お寺や仏像のいわれなど

南大門、金堂、講堂、食堂(じきどう)と南から北へ一直線にならぶ東寺の伽藍配置は、創建当初からのものである。しかし、建物は残念ながらすべて再建されたものにかわっている。

このうち食堂は文字通り僧が食事をとる場所であるが、現在は納経所になっている。

創建年代の記録はないが、900年ごろ理源大師聖宝(しょうぼう)によって、本尊の千手観音像とそれを取り囲む四天王像がつくられた。

創建当初の食堂は16世紀末の地震で倒壊し、19世紀になって再建されたが、1930年に焼失し、現在の建物は1934年の再建である。現在の本尊は奈良美術院の仏師、明珍恒男晩年の作の十一面観音像。

 

当初の本尊だった千手観音像と四天王像は、戦前国宝指定(旧国宝)を受けていたが、1930年の火災によって甚大な被害を受けた。四天王像の方が損傷が激しく、文化財指定を解除された。

その後これらの像は講堂や金堂内で保管されていたが、1960年になって現状調査が行われ、千手観音像は1965年から67年にかけて修復が行われた。現在は宝物館2階で常設展示されている。

 

 

拝観の環境

境内の北西にある宝物館は1965年開館。2階に常設の彫刻展示の部屋があり、旧食堂本尊の千手観音立像はその中央にそびえるように立ってる。

像高は6メートル近くあり、ぎりぎりまで下がっても全体が目に入らないほど大きい。

 

 

仏像の印象

これほどの大きな仏像だが、頭から体の幹部は一木で造られている。樹種はヒノキ。

顔つきは丸く、顎のラインは引き締まっている。

上半身には充実感がみなぎり、下半身はこの時期の像としてはそれほど厚みなくすっきりとしているが、下肢の翻波式衣文や渦文は力強さを感じる。

 

1930年の食堂炎上後に撮られた写真を見ると、火災による損傷は全身に激しく及び、あまりに痛々しい。その修理は、文化財の修復の歴史に残る難しいものとなった。

焼けた痕は特に上半身でひどかった。

しかも、調査を進めるにつれて、鎌倉、江戸期の修復でかなり改変が加えられていることもわかってきた。

その結果、火によって炭化した部分を補強するとともに、後の時代に付け加えられた部分を取り除き、残された当初部分を参考に復元修理されるという方針が立てられた。顔を例に取ると、中世、近世に補修されたところを取り去り、わずかに残されていた当初の仕上げ面をたよりに、復元するという作業が行われたのである。

意外に当初の姿をよくとどめているのは脇手で、1930年の火災では本体から脱落し、その上に天井の材が降ってきたために、かえって焼けずにすんでいる。

 

現在の像は、当初の状態をよく残しているのは下肢と脇手の一部、腹の下で鉢をささげ持つ手の部分、頭上面の一部、仏頂面(頭部だけでなく肩までつくられていて、珍しい)とその下のまげくらいで、あとはこの時の修理で補修や新補されている。

 

火災前の本像姿は、現在の像容とずいぶん印象が異なっている。以前の写真を見ると、顔はのっぺりと無表情で(戦前の写真技術の限界もあるかもしれないが)、体は細長く、中央で合掌するても狭く縮こまっているような印象である。後補の冠、持物、また無数の小手が頭上や下肢の横手に広がっていて、極めて賑やかであった。まさに人知をはるかに超越した力をもつ姿という感じの像であったと思われる。

それが現在では無数の小手、下肢の天衣などは取り去られ、すっきりした姿となった。口、顎、のどなど、当初の姿を追求した結果、引き締まって力強い像となった。

 

この像をつくった聖宝は醍醐寺を開いた真言僧で、宇多法皇より厚い帰依を受け、東寺の別当や長者ともなった。

この像の右脇手の内ぐり部分から檜扇が見つかっており、それに「元慶元年」(877年)の文字が書かれている。誰がどのような経緯で納入したのか不明だが、長さ30センチ弱、幅は3センチ、厚さは1ミリのヒノキの薄板20枚がばらばらになった状態で見つかり、樹木や草、鳥、雲などが描かれて、平安前期の貴重な工芸品である。

877年の年の入った檜扇が入っていた本像は、当然それ以後の造立と考えられる。

聖宝が東寺の重要な重要な職責についたのが894年なので、以後彼が没する909年までの間、すなわち9世紀末〜10世紀初頭の造像と思われる。

 

 

その他の宝物館安置仏

宝物館は各期ごとテーマをたてて展示が行われているが、2階の一部屋は彫刻の常設展示で、旧食堂本尊の千手観音像を中心に、地蔵菩薩立像、愛染明王像、地蔵菩薩菩薩半跏像、兜跋毘沙門天像が並ぶ。

向って1番左の地蔵菩薩立像は顔つきは穏やかながら、腹、右腕、股間に細かな襞(ひだ)を重ねていかにも霊像のおもむきのある像である。像高約160センチ

一木造の像で、平安時代前期の作と思われる。

西寺から移されたという伝承がある。もと講堂に安置され、食堂に移されて、一時は本尊の背後に安置されていて「北向の地蔵」と呼ばれていたが、1930年の食堂火災の際に救い出された。

 

兜跋毘沙門天像は、唐より請来され、平安京の南の入口である羅城門上に安置されていた像といわれている。

講堂、食堂を経て、19世紀前半に境内の西に毘沙門堂が建てられたのでその本尊として安置されていたが、宝物館開館とともに移されて来た。

像高は約190センチの立像。樹種は中国のサクラ系の材。4面の高い冠をつけ、眉はつり上がり、目を大きく見開く。鎧は異国風でブーツとともに極めて精緻に模様をほどこしている。地天の手の上に乗る。

顔はやや小さく、胴を絞り、下半身は長い。膝下まである長い鎧をつけ、下半身が大きく、安定感ある姿となっている。

右足をわずかに斜めに出し、それにともなって腰を若干ひねる。手は曲げて、右手は戟をとり、左手は宝塔を掲げるが、左右の手は高さ、曲げ方、開く角度の違いをつけている。

破綻や誇張なく実に自然な立ち姿で、隙というのかそういうものがまったくない。素晴らしい仏像と思う。

 

 

観智院の五大虚空蔵菩薩像

宝物館と同じ時期に公開される観智院の仏像についても紹介しておきたい。ここには五大虚空蔵菩薩が安置されている。貴重な唐時代木彫像である。

鳥獣に乗り、エキゾチックな雰囲気の不思議な仏像である。入唐僧恵運(えうん、空海の高弟実恵の弟子)によってもたらされ、彼が建立した山科の安祥寺(あんしょうじ)にもとまつられていたという。

像高は各70センチ余。樹種はクスノキに似た広葉樹ということである。

 

 

食堂と夜叉神堂安置の諸像 

1930年の火災で千手観音像とともに焼損を受けた四天王像だが、こちらは千手観音像よりもずっと遅れて、1993年から数年をかけて修理が行われた。

修理は炭化した表面に樹脂を入れ、現状での固定がはかるというもので、現在は食堂の向って左手奥に4躰ならんでひっそりと立っている。像高は各3メートルを越える大きな四天王像で、ヒノキの一木造。

向って右側に立つ2躰、持国天像、多聞天像は比較的像容がわかる。

像高は3メートルを越える堂々たる像で、多聞天像は兜を着け、右腕が残る。持国天(他の2天もそうだが)は両腕とも失っている。

顔も真っ黒く炭化してはいるが、表情はわかる。誇張を避け、怒りの表現も控えめである。裾を翻すさまも大きくなく、腰をひねり足を上げても体勢はバランスがよい。頭部は大きめにつくられる。平安前期の彫刻らしい太づくりを避け、安定した造形を目指しているところは旧本尊の千手観音像に通じる。

 

最後に、夜叉神像について紹介しておきたい。

食堂と講堂の間に小さなお堂が二つ並んでいる。夜叉神堂といい、一対の夜叉神をまつっている。かつて南大門にあったが、霊験が強く、通行人が拝まずに通ると罰が下ったという。そのために中門の左右に移されたが、中門が失われたのち、現在の小堂にまつられたそうだ。

東が雄、西が雌。雄神は神を逆立て、目をまん丸に見開き、口を開ける。雌神は髪をぐりぐりと巻き、怒りの表情もどことなく年輩の女性を思わせる。頭は大きく、顔の表現は豊かである。共に手は失われていて、体にも無数の穴があき、損傷が進んでいる。下肢の衣は襞をあらわさず、獣皮をまとっている様子を表現したものであろう。

平安時代前期、9世紀ごろの作と思われる。

 

平安時代後期成立とされる『本朝神仙伝』の中に、長生を求めて夜叉神に仕えた東寺の僧の話が出てくる。彼は夜叉神に背負われて天上界をめざしたが、結局失敗に終わる。この話の夜叉神はこのような姿のものであったのであろうか。

また、歯の神さまともされているそうで、食堂では「夜叉神キシリトール」というものが売られていた。

 

拝観は堂の外から。扉に貼られている透明のシートごしなので、やや見づらい。

食堂、夜叉神堂はともに有料の拝観ゾーンの外側にあるので、拝観無料。

 

 

さらに知りたい時は…

「特集 よみがえれ、仏像!」(『芸術新潮』2015年5月号)

『もっと知りたい 東寺の仏たち』、根立研介・新見康子、東京美術、2011年

『仏像修理100年』(展覧会図録)、奈良国立博物館、2010年

『10世紀の彫刻』(『日本の美術』479)、伊東史朗、至文堂、2006年4月

『東寺の謎』、三浦俊良、祥伝社、2001年

『新東宝記』、東寺創建一千二百年記念出版編纂委員会、東京美術、1996年

『東寺』(『日本の古寺美術』12)、保育社、1988年

『南都の匠 仏像再見』、辻本干也・青山茂、徳間書店、1979年

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・造像銘記篇』8、中央公論美術出版、1971年

『重要文化財木造千手観音立像修理工事報告書』、教王護国寺編、1968年

『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代・造像銘記篇』1、中央公論美術出版、1966年

 

 

仏像探訪記/京都市