普済寺の国宝・石幢
四天王像、仁王像が浮き彫りに
住所
立川市柴崎町4-20-46
訪問日
2007年12月30日、 2014年10月18日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
普済寺へは 立川駅から南西方向に徒歩で20分余り、または多摩モノレールの柴崎体育館駅から西へ10分ほどである。
JR立川駅からは、南口を出てすぐ右、「すわ通り」を行く。最初の信号を過ぎると道が二股分かれているので、右を行くとやがて右側が諏訪神社である。そこを過ぎ、「柴崎分水跡」という小さな案内板のある角を左折、ひとつ信号を越えて、突き当りすぐ右が普済寺の門である。
本堂の周りに柵がめぐらされているので、その外側を柵に沿って右手からぐるりと廻りこんで奥へ進むと、墓地のさらに先に石幢(せきとう)はひっそりとある。日中であればいつでも自由に拝観することができる。
拝観料
なし
普済寺について
この寺院はかつてこの地で勢力をふるった立川氏の建立による古刹で、中世まで遡る宝物も多かったというが、近年の火災でその多くを失った。
石幢が焼亡を免れたのは、堂宇からは独立して境内に建っていたためであろう。現在、石幢は美しく再建された本堂・庭園の裏手に、耐火建築の小堂に守られて建っている。
拝観の環境
石幢を覆う小堂には4方にガラス窓がつけられており、石幢との距離が小さいこともあって、銘文まで肉眼で見ることができる。
普済寺石幢の印象
石幢の「幢」とはもともと「はた」を意味し、仏堂では笠の下に美しい布を垂らすなどして仏の世界を荘厳するものであった。四角または多角の笠の下に、それぞれの辺から織物をたらした形を石に置き換えられたものが、石幢である。中国では白色大理石によるものが多く見られるという。
日本では主に中世に四角、六角、八角の石柱の上にやはり石製の笠、宝珠を載せた石幢がつくられた。関東で見られる石幢の中には、石の板を組み合わせて石柱としている石幢がある(この場合中は空洞になっている)。この石の板は、その形や石材の種類から、同じく関東を中心に分布している板碑との関連が考えられる。
普済寺の石幢は六面で、板を組み合わせた形である。六角形の台石の上に6枚の緑泥片岩の板が立てられ、されにその上に3重に笠石を置き、頂上には宝珠を載せている(宝珠は後補か)。全高は2メートルを超え、堂々たる石幢である。
各面には四天王像と仁王像が1体ずつ浮き彫りされている。残念ながら顔は摩滅が進んで表情はよく分らないが、下半身の衣の様子など実にくっきり、生き生きと描かれている。持物、顔の周りの円光、像の下の岩座、像の上方に描かれた降りそそぐ七宝などもよく表現されている。
東南側に仁王像を並べ、残る4面に東西南北を担当するそれぞれの四天王を配していて、方角を意識しながら造立されたものであることがわかる。持国・増長天は武器を、広目天は巻物と筆、多聞天は宝塔を持ち、誇張を避けて安定した表現だが、十分に迫力が感じられる。
広目天像の右脇に1361年を示す年と、造立にあたった性了の名が明記されている点も貴重である。性了は、この寺の開山である物外和尚の弟子であるという。
さらに知りたい時は…
『国宝大事典4 工芸・考古』、講談社、1986年
「石幢と板碑」(坂詰秀一編『板碑の総合研究 総論』所収)、日野一郎、柏書房、1984年