安楽寺の軍荼利明王像

  毎年8月14日に開帳

住所

青梅市成木1-583

 

 

訪問日

2010年8月14日、 2022年8月14日

 

 

 

拝観までの道

JR青梅線の東青梅駅から北へ150メートルほど行くと「東青梅駅北口」交差点に出るので、そこを左折。同名のバス停より都営バス梅74系統成木(なりき)循環に乗車し、「成木一丁目自治会館前」で下車。バス停のすぐ脇が安楽寺軍荼利明王堂への参道になっている。

 

都営バス

 

軍荼利明王像は年1度8月14日に開扉される。

 

 

拝観料

志納

 

 

お寺や仏像のいわれ

安楽寺のある成木は青梅市北部、埼玉との県境に近い。近くを流れる成木川は東流し、入間川から荒川に合流する。この成木川に沿って東西にのびる谷間が成木地区で、かつては林業によって栄えた。

奈良時代、行基がこの地へ来て、鳴動するクスノキの大木のもとで軍荼利明王の姿を感得し、そのクスノキを用いて像を刻みまつったのが、安楽寺のはじめという。成木は、クスノキが鳴ったことから生まれた地名だそうだ。以後、いくさの神として、平将門や源頼朝、足利尊氏などの尊崇を受けたと伝える。

室町時代にも近隣の僧や武士による大般若経600巻の奉納がなされるなど、多くの信仰を集めたが、その後火災にあい、戦国時代に再興。後北条氏、さらには江戸幕府によって保護された。

 

 

拝観の環境

軍荼利明王堂の本尊、軍荼利明王像は堂内奥の厨子中に安置される。

筆者は10時前に着き、ちょうどお厨子を開くところだった。夕方には護摩炊きや盆踊りがあり、その間ずっと拝観できるとお寺の方がおっしゃっていた。

厨子のすぐ前で拝観させていただける。ライトもあり、たいへんよく拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高3メートル近い大きな立像である。寄木造、彫眼。主要材はケヤキだが、腕など別の材も用いられているらしい。鎌倉時代の像と推定されている。

8本の腕を持つが、腕の動きも含めて躍動感はあまりない。体躯は平板な感じで、衣の襞(ひだ)の線も浅い。

しかし頭部は奥行きがあり、顔面は凹凸をしっかりつくって、斜めからあたるライトの効果もあり、なかなかの迫力である。体に比べて顔は小さめだが、眉、目、鼻口は大きく、力強い。何層かになって上に伸びる髪や生え際のカールした様子は様式的ではあるが、面白い。

首、指、膝など、筋や骨ばった様子がしっかりとあらわされて、魅力的である。

 

江戸時代には江戸で出開帳されたそうで、芝居の背景のように派手やかな光背はこの時に補われたものらしい。

 

 

その他

軍荼利明王堂の手前に建つ仁王門の内、向って左には金剛力士像・吽形像が安置されている。像高約210センチ、カツラの一木造。中世以後の仁王像はぼこぼこと筋肉の盛り上がりをつけるが、この像はそうでなくすっきりとして、それ以前、平安時代にさかのぼる古像と考えられている。

一方、右側には伝金剛力士像が立つ。像高約190センチ。カツラの一木造。上半身は裸であるのは左の像と同じ、また全体の雰囲気も似通っているが、細部は異なる。怒髪天を突き、目を大きく見開き、口は開いていないが歯を見せる。右手は親指と人差し指を立てて胸の前に、左手は腰のあたりに構える。転用されて仁王像のかわりをつとめているであろうが、本来は何という尊格であったものか。素朴な力強さが魅力的な像である。

仁王門にはガラスや金網が張られていないので、よく拝観できる。

 

なお、本堂は軍荼利明王堂に向って左手に坂を上がって行くとある。江戸前期の堂々とした建物である。

 

 

さらに知りたい時は…

『青梅市史』上・下、青梅市史編さん委員会、1995年

 

 

仏像探訪記/東京都