熊野神社の諸像
毎年春分の日に開扉
住所
新城市巣山字ハマイバ51
訪問日
2010年3月21日
この仏像の姿(外部リンク)
拝観までの道
新城(しんしろ)市は、静岡県と接する愛知県東部地方の市である。
市の南西から北東へとJR飯田線が通り、その中央あたりにある三河大野駅の東方に熊野神社がある。といっても徒歩で100分くらいかかる。駅の近くにタクシー会社がひとつあるが、台数が少ないので予約するとよい。3,000円から3,500円くらい。
熊野神社の南側には阿寺の七滝という名瀑があって、三河大野駅からこの滝を経由し熊野神社まで行く道もある(東海自然歩道の一部で、途中厳しい坂道もあるハイキングコース)。
ひとつ南側の本長篠駅からは市営バス(コミュニティバス、秋葉七滝線)があるが、日曜日・祝日は運休。
熊野神社に伝来する仏像は収蔵庫に安置され、毎年春分の日に開扉される。
他の日でも、お願いすれば開けてもらえないでもないらしいが、かつて仏像が盗難にあい、そのころは林業が好調であったために買い戻せたそうだが、そんなこともあって管理体制が厳重であり、管理している地元の方が3人揃わないと開扉していただけないとのこと。
筆者は2010年の春分の日、三河大野駅からタクシーで熊野神社に向った。深山の中に分け入るような道は、静岡県の秋葉山へと通ずる秋葉街道だそうだ。途中、中央構造線の亀裂が見えたりもして、その後一転、のどかな山あいの里・巣山に着く。熊野神社の先、公民館のある隣に収蔵庫が建っている。
午後1時すぎに着くと、収蔵庫内で法要が行われているところだった。ややあって読経が終わり、中で拝観させていただくことができた。
拝観料
志納
お寺や仏像のいわれ
収蔵庫には、阿弥陀如来像、聖観音像、不動明王像、四天王像、北条時頼と伝える肖像、そしてガラスケース中には木造の懸仏3躰と、実にたくさんの像が並んでいる。
30戸あまりの山里にすぎないこの巣山に、なぜこれほどの古仏が伝来しているのか驚くばかりだが、ここは古くは熊野信仰の行者の拠点であったともいい、近世には秋葉街道の宿場として栄えていたとのこと。
阿弥陀如来像はもと高福寺(廃寺)に伝来した像という。
拝観の環境
収蔵庫の中は明るく、間近で拝観させていただけた。
仏像の印象
収蔵庫の中央に安置される阿弥陀如来像は像高約90センチの坐像で、ヒノキの割矧(わりは)ぎ造、彫眼。像内銘があり、1244年、巧匠僧行慶の作と知れる。
髪際の中央が下がる。髪際が一直線でなくカーブしている仏は鎌倉時代によく見られるが、これほどぐっと下がっている像は珍しいと思う。眼はつりあがり、細面で精悍な感じで、やんちゃな青年のような印象も受ける。親しみやすい雰囲気の仏像である。
行慶は他に事績が知られないが、「慶」がつくこと、快慶の銘記のように「巧匠」と名乗っていることから、慶派に連なる地方仏師かと想像される。
聖観音菩薩像は像高約80センチの坐像で、やはり像内銘があり、1250年、鏡慶作とわかる。やや線が細いが、阿弥陀像と作風は共通するところがあるので、行慶と鏡慶とは師弟であるのかもしれない。
このほか、庫内には鎌倉時代の不動明王立像、北条時頼坐像、木製の懸仏が安置されている。
懸仏は阿弥陀、薬師、千手像で、熊野神の本地仏としてつくられたと思われる。中世〜近世の作で、このうちのひとつ(薬師仏の懸仏)が過去盗難にあったのだそうだ。
その他(秋葉寺の仁王像について)
筆者は未見だが、浜松市天竜区の秋葉山秋葉寺(あきはさんしゅうようじ)の仁王像は、もとこの巣山に伝来し、近代になって移された像だそうだ。近年の調査で「寛元」の元号を含む像内銘が見つかった。これは巣山・熊野神社収蔵庫の阿弥陀如来像造立年(1244年=寛元2年)と重なり、一連の作と考えられている。
秋葉寺は、標高800メートル台の秋葉山の山頂にある秋葉神社(上社)から徒歩で10分から20分くらい下ったところにある。10月〜1月の毎日曜日に臨時バスが西鹿島駅から秋葉神社まで運行されている。問い合わせは、遠州鉄道天竜営業所(電話053-925-2125)へ。
さらに知りたい時は…
『愛知県史 別編 文化財3 彫刻』、愛知県史編さん委員会、2013年
『日本彫刻史基礎資料集成 鎌倉時代 造像銘記篇 』6、中央公論美術出版、2008年
「寛元在銘の静岡・秋葉寺(愛知・巣山区伝来)金剛力士像」(『愛知県史研究』9)、山岸公基、塩澤寛樹、堀恭子、2005年
『解説版 新指定重要文化財3、彫刻』、毎日新聞社、1981年
『鳳来町誌 文化財編』、鳳来町教育委員会、1980年