常福寺の千手観音像

  年1度、8月9日に開扉

住所

津市白山町八対野

 

 

訪問日 

2009年8月9日

 

 

この仏像の姿は(外部リンク)

白山道しるべの会

 

 

 

拝観までの道

地元では「別所の観音さん」という方が通りがよい。

最寄り駅は近鉄大阪線の東青山駅で、西南に徒歩で35分から40分くらい。

駅から南へ、国道165号線に出たら西へ。コンビニのある垣内という交差点を過ぎ、垣内川を渡ってさらに行くと、ご開帳の日は幟が出ているので、そこから左に小道を降りてゆくとお堂の脇に出る(車の場合は国道より一本南の道をゆくとお寺の駐車場がある)。

「垣内」までなら、隣の榊原温泉口から白山コミュニティバスがあるが、本数は少ない。

 

津市コミュニティバスの運行について

 

東青山駅にはタクシーは常駐していないが、駅前の公衆電話で呼ぶことができる。

 

千手観音像は秘仏で、年1度8月9日に開扉される。かつては夜のご開帳だったそうだが、今は午前中から開扉され、15時ごろに法要があって、夕方すぎ頃まであけているとのこと。

問い合わせ先は津市教育委員会生涯学習課。

 

 

拝観料

特に拝観料の設定はなかった

 

 

お寺のいわれ

お寺に伝わる縁起によれば、空海が千手観音像を刻んで草堂に安置したのが常福寺のはじまりという。

その後寺運は次第に衰え、16世紀にこの地を支配した北畠氏によって一時は再興されたものの、戦国の兵火で焼かれた。千手観音像は救出されて近くの成願寺(じょうがんじ)に移されたが、江戸時代中期に夢告によって再びこの地に堂宇を建てて像を移坐したという。

近代初期の廃仏により寺は廃寺となり、観音堂のみ残されたが、戦後になってかつての寺名である常福寺を再び名乗った。しかし普段は無住で、法要はゆかりのある成願寺のご住職によって執り行われている。

 

 

拝観の環境

千手観音像は収蔵庫に安置されている。

収蔵庫といえども祭壇があったりお供え物をしたりというお寺が多いが、この像はほとんど何もない中、ぽつんと庫内中央に安置されている。

中は明るく、またすぐそばに寄って拝観できる。

 

 

仏像の印象

像高55センチあまりの立像であるが、きわめて強い存在感の仏像である。一木造で、材はヒノキという。

顔の表情は非常に厳しい。平安時代後期の柔和な観音像とはまったく異なる。もともと変化観音は、空海が密教をまとまったかたちで持ち込む以前からの古い密教の尊像であり、極めて強い呪力を期待されていたものであるので、これが本来あるべき表情であるといえるのかもしれない。

体はどっしりと横幅があり、そこに脇手がにょきにょきとつく(脇手は一部が後補という)。脇手はあまり細くはつくらず、それがひとつひとつ持物(後補)をとるさまは、圧倒的である。

 

また、下半身の衣の表現がすごい。裙の裾が左右に張り出し、それが前からの風を受けて後方にたなびいている。こうした表現をとる仏像はほかにもあるが、そのたなびき方が半端ではない。両足の間の衣もぐっと後ろになびき、横から足下を覗きこむと、なんと、裾部分はかかとの後方まで出ている。そして前からの風の動きによって両足の太さも強調され、また、裙の折り返し部分は強く波打っている。

これはまさに風とともに観音が目の前に出現した瞬間の姿である。平安前期彫刻では足の太さや衣の襞が強調されているものが多いが、それは本来、この像に見られるような風とともに出現した状況を表したものであると改めてわかる。この像はそのオリジナルの迫力を放っているのである。

 

 

その他

2011年の8月のご開帳にいらっしゃった方からの情報によれば、収蔵庫内にはこの仏像のほかに仏涅槃図が展示され、そのため庫内に入れず、扉口からの拝観となっていたとのこと。

 

 

さらに知りたい時は…

『三重県史 別編 美術工芸』、三重県、2014年

『仏像好風』、紺野敏文、名著出版、2004年

『はくさんの仏像』、白山町文化財保護委員会、2003年

『古佛 彫像のイコノロジー』、井上正、法蔵館、1986年

『三重の美術風土を探る』(展覧会図録)、三重県立美術館、1986年

 

 

仏像探訪記/三重県