大阪の2つの博物館

大阪人権博物館(リバティおおさか)

 

 この博物館は1985年に「大阪人権歴史資料館」としてオープンし、1995年(この時現在の名称に改められた)、2005年と10年ごとにリニューアルして現在に至っている。一観覧者の気楽な立場としては、美術館と違ってパーマネントな展示が中心となる歴史や人権の博物館では、これくらいの周期で展示を替えてほしいと思う。しかし、展示を作る側にとっては、10年に一度大きく作り替えるというのは非常に大きな負担であろう。力のこもった展示を実現されたスタッフの方に敬意を表したい。

 現在の展示は「私が向きあう日本社会の差別と人権」を統一テーマに、4つのコーナーに分かれる。

 

 最初のコーナー(「人権の現在」)はいわば導入部で、今当たり前のようにある権利であっても、それは長い間の粘り強いたたかいによって勝ち取られてきたものであることが述べられる。次の「私の価値観と差別」では、「いい仕事につきたい」「健全でありたい」「金持ちになりたい」など私たちのだれも多かれ少なかれ持つ価値観はどこからきたのかということと、そのために排除されているものがあるのではないかという問いかけがなされる。そして3番目のコーナー(「差別を受けている人の主張と活動」)では「被差別部落」「女性」「障害者」などのテーマごとに、差別とたたかってきた人の主張・つくり出してきた文化と現在も続く問題について述べられる。それぞれ限られた展示スペースだが、その充実ぶりは相当なもので、新しい情報まで取り込んでいることと、差別とたたかってきた人の生の声が採られていることが大きな特色である。要所には、映像ディスプレイを設置し、説明を補足している。

 

 これらの展示からは、日本社会が抱える差別問題の深刻さを改めて感じずにはいられない。しかし、大上段に振りかぶって迫ってくるような展示ではなく、抑制されたトーンとなっている。展示を見てゆくにつれ、観覧者は自分の価値観を問いなおし、私たちの社会にある人権問題とどう向き合うべきか、自分自身を問うことになる。ミュージアムの展示として客観性が求められることは当然だが、同時に私が問われているのだという示し方をしたいという難しい問題によく挑み、成功をおさめている。何より、妥協的でない。

 

 最後のコーナー(「私にとっての差別と人権」)では、差別問題とかかわったさまざまな人のインタビュー(それぞれ約30分にまとめている)を見ることができる。また、展示に携わった館の学芸員9名がそれぞれ3分で思いを述べている映像も加えられている。この映像は見るべきである。展示の作業を通じて、学芸員自身も自らを問いなおす場となったことなどが語られている。この困難な展示の実現の裏側に、この博物館をつくり上げたの方たちの並々ならぬ熱意と努力があったことがよくわかる。歴史や人権を扱った資料館の中には、どこからもつつかれまいとして「匿名性」の中に逃げ込んでいくような展示だと感じるものがあるが、この館にはこれとは正反対の姿勢がある。「人の世に光あれ」と結んだ水平社宣言に連なるものであると思う。

 難点は、すべてを丁寧に見ようとすると、かなりの時間と体力を要することである。

 

→ 大阪人権博物館ホームページ

 

*大阪人権博物館(リバティおおさか)は、残念ながら2020年5月に閉館となった。現在は所蔵している貴重な人権資料を大阪公立大学に移管することで保存・管理、教育・研究活動、展示公開の継続を目指しており、そのための寄付を募っている。

 

 

 

大阪府立狭山池博物館

 

 飛鳥時代に作られ、各時代に補修が重ねられて現代に至ったダム式のため池である狭山池に関する博物館である。開館は2001年。設計は安藤忠雄。

 

 南海電鉄高野線の大阪狭山市駅から西へ10分ほど歩くと、狭山池の北側に出る。この池を望む土手の遊歩道に上がると、博物館の2棟のスリムな建物がまず目に入る。土手から続く入口は実は博物館の3階なのだが、動線はこれらの建物には向かわず、エレベーターで下りよとの指示。1階に着いてエレベーターの扉が開いた瞬間、3階部分から絶え間なく落ちてくる水の音に迎えられる。目の前には広い水の庭。ここでまず驚かされる。そこから改めて博物館入口に向かうと、15メートル以上の高さの狭山池の堤が迎えてくれる。またびっくりである。歴史博物館や郷土資料館などでよく見られる貝塚などの断層をはぎ取って展示する手法と基本的には同じものだが、とにかく規模が大きい。堤の表面は各時代の修復と拡大の跡が、地層のように縞になっている。そしてこの堤を覆っているのが土手から見えた建物の1棟であり、もう1棟の建物(こちらには近代のコンクリートの取水塔が展示されている)に向かって土手からは見えない1・2階部分(コンクリート打放しの壁面をもつ安藤忠雄らしい内部である)に飛鳥から現代までの狭山池の出土品や参考資料を展示しているのである(説明を読んでもピンとこないかも。やはり行って見ていただくのが一番かと)。

 

 水庭や堤には驚かされたが、それ以上に印象的なのは、建物の主要部分が外からは見えないということである。狭山池の風景とマッチする建築を目指した結果、このような建物に行き着いたのであろう。これまでのミュージアムの建物は、見上げるような堅牢な建築や目を引く外観のものをという方向をもっていた。さらにそびえ立って見えるようにと、高台に作られたものも多い。しかし、この博物館はまったく逆の方向性をもつ。美術館・博物館の収蔵品はかつては大きな権力と金力によって集められたものだったが、今では特別な権力者のものではなく公共の文化財ととなったという文脈で考えるならば、そびえ立つ建築を持たないこのような博物館こそ現代にはふさわしい。

 

付記) 2009年6月、館内に大阪狭山市立郷土博物館が移転、オープンし、複合施設となった。市立郷土博物館の常設展示室は2階。

 

→ 大阪府立狭山池博物館ホームページ

 

*南海電鉄なんば駅より高野線で大阪狭山市駅下車。入館無料。休館日は月曜日(祝休日のときは翌日)および年末年始

 

 

 

 

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